■節子への挽歌3831:血圧が久しぶりに正常値です
節子
今日は夕方また畑に行きました。
50坪もあるので、野草を刈っても刈っても土肌が見えてきません。
それでも続けなければ、また元の木阿弥になってしまうのです。
シジフォスの神話のように、ただ黙々と作業するだけです。
しかし、またいつかのようにおかしくなってはいけません。
今回はほどほどに、というところでやめるようにしています。
帰宅後、少し休んで、血圧を測ってみました。
なんと156/86です。
これは私のなかでは、「正常値」。
久しくお目にかかったことのない数値です。
自然とのふれあいは高血圧対策にもなるのでしょうか。
まあいろいろと対策をやっていますので、それらが総合的に効果をあげたのか、たまたまそういう測定値が出たか、それはわかりませんが、まあかなりのハードワークでしたが倒れずに済みました。
夕方、タマネギを2個使って、また酢タマネギをつくりました。
なんだか最近、思ってもいなかった「健康志向」生活になっています。
ちょっともう少し生きないと、いろんな人に迷惑をかけることが明らかになってきてしまったからです。
しかし実はもう一つ、健康に気遣いだした理由があります。
最近、有名人の突然死がよく報道されます。
突然死は、他人事ではありません。
私の場合もいつ起こってもおかしくないでしょう。
しかしできればそれは避けたいと思い出したのです。
生への執着や死への恐れは、私の場合はほぼありません。
此岸よりも彼岸のほうが、私には魅力があります。
それは単に節子がいるかどうかだけの理由ですが、そのおかげで、淡々と生きることができています。
しかし、できれば、自分の死は、自分で意識して迎えたいと、最近思い出しているのです。
いうまでもなく、死は自分では体験できません。
しかし、死を感じながら生きることはできるでしょう。
節子は間違いなくそうでしたし、もしかしたら死の時間を自分で決めたのかもしれません。
私も、死期を知って、それを踏まえて、死の時間を自分で決められればと思い出しています。
だから当然死は避けたいと思い出しています。
非常に遅まきながら、この歳にして、ようやく死を考え出しました。
だから血圧値は、正常化しておこうと思い出しているのです。
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