■節子への挽歌3836:「逃げるのに疲れた」
節子
荒れ果てている畑の道沿いが何とか整理できました。
明日にでも花の種をまこうと思います。
それにしても大変でした。
節子はここをロックガーデン風にしたいといろいろと工夫していましたが、その残骸の石やレンガが出てきます。
節子が残し物でいまも何とか残っているのは、アジサイとバラです。
それ以外はほぼ全滅です。
繁殖力の高い野草と篠笹がはびこってしまっています。
一時はワイア―プランツもすごかったのですが、これは3年前の頑張りで何とか抑え込みました。
それにしても開墾作業を4日も続けたため、手のいたる所がかぶれてしまい、かゆくて仕方がありません。
しかも身体全体が痛くて、大変です。
しかしいいこともあります。
時折、電話やメールがありますが、ほとんど俗世間とはつながっておらず、基本的にはいろんなことを考えずに済みます。
要は自分のことだけを考えていればいいわけです。
それも目先の作業だけを、です。
この生き方はとても楽でいいです。
多くの人がこういう生き方になっているのは、それが楽だからかもしれません。
でも本当はただ現実を逃げているだけかもしれません。
今日、だいぶ前に刑務所から脱走した若者が逮捕されました。
彼は、「逃げるのに疲れた」と言ったそうです。
逃げるは疲れます。
最近、私は人生から逃げているような気がしています。
大型連休の畑作業も、もしかしたら、逃げ疲れを癒したいからなのかもしれません。
身体の疲れは、精神を浄化するような気がします。
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