■節子への挽歌3804:むーさんになりました
節子
孫のにこは、私を「むーしゃん」と呼びます。
「おさむ」と呼ばせたかったのですが、長いので、結局、「むーしゃん」になってしまいました。
まあそれもまた良しです。
週に2~3回は会っていますが、相性はかなりいいです。
育児に関しては、一切、口を出しませんが、まあ気になることはいろいろあります。
母娘なら言えるのでしょうが、父子の場合は難しいものです。
それにしても、節子は実家にも帰らずに、よく2人の娘を育ててくれました。
孫の発育ぶりを見て、その大変さが改めてよくわかります。
孫には甘くて、いろいろと買ってやるのが祖父だとも言われますが、私はそういうことはありません。
時々、娘から何となく言われて、買うことはありますが、誰かに何かを買ってやるのは、たとえ相手が孫であろうと私の趣味ではありません。
それにまだ2歳にもなっていない孫は、なにかが欲しいなどとは思うはずもありません。
なにも買ってはやりませんが、相性はとてもいいのです。
孫はわが家に来ると、「こんにちは」と頭を下げます。
つづいて節子に挨拶です。
仏壇の鐘を鳴らし、手を合わせます。
帰宅する時には、必ず外まで見送りますが、これは節子の文化でもありました。
さて、名前の件ですが、「むーさん」になるとは思ってもいなかったので、またひとつ自分の呼び名が増えたわけです。
節子が健在だったら、なんと呼ばれたでしょうか。
「せっちゃん」でしょうか。
せっちゃんがいたら、娘に頼んで孫を借りだしてどこかに連れて行きたいところですが、私だけでは信頼されないので、それは無理でしょう。
残念ながらちょっとの時間、預かるだけです。
それにしても、乳幼児の瞳には一点の曇りもありません。
少し付き合っているだけで、心が洗われます。
こんなに澄み切った心で生まれてくるのに、どうしてみんな濁っていくのでしょうか。
不思議でなりません。
もちろん私も、ですが。
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