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2018/05/01

■節子への挽歌3838:全身がかゆみにおそわれています

節子
今年も5月になりました。
大型連休は孤独な畑開墾作業に精出していますが、今日は朝から真夏のようなので、畑には水やりにだけ行こうと思いながらも、まだ行かずにだらだらしています。
さすがにメールの数も減りなした。
みんなきっと充実した連休を楽しんでいるのでしょう。
メールが来るとわずらわしいと思い、こないとちょっとさびしい。
人は本当にわがままで身勝手です。
いや、私だけかもしれませんが。

ともかく身体の肌が何かにかぶれた感じで、首筋から手足がかゆくてやりきれません。
かゆみ止めを塗っているのですが、すぐに効果は亡くなります。
手の甲は、少し腫れてきています。
そういえば作業中に、チクリとした瞬間的な痛みを感じましたが、なにかに刺されたのかもしれません。
昨日の作業中に感じましたが、農作業や畑の開墾は、殺生の連続です。
野草を刈り取ること自体が、まさに殺生ですし。

昔のお百姓さんは、「南無阿弥陀仏」と口にしながら、土を耕したと聞いたことがあります。
阿弥陀に殺生を許してもらいながら、農作業をしたわけです。
その気持ちは少しわかります。
私の肌がかぶれ、かゆさにおそわれているのは、阿弥陀への帰依が不足していたのでしょう。

それにしても、かゆみが全身に広がりだしてきているような気がします。
あてさてどうしたらいいか。
皮膚科に行くか、畑に行くか。
後者を選ぶことにしました。

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