■「九条俳句訴訟と公民館の自由」
私は、昨今の「社会教育」のあり方に大きな違和感があります。
時代状況が変わる中で、「社会教育」(学校教育もそうですが)の捉え方を変えていくことが必要だと思いますが、一度できた枠組みはそう簡単には変わりません。
いまだに、統治視点からの行政主導の「与える社会教育・与えられる社会教育」、「国民の意識を高める(国民教化)ための教育型の活動」が中心か、もしくは自分の趣味を広げる(つまりある意味での社会性を抑え込む)「生涯学習型の社会教育」になっているような気がしてなりません。
しかし、社会がここまで成熟し、人々の意識や生き方が変わってきている中で、そろそろそうしたあり方を見直し、むしろ方向性を反転させて、私たち生活者一人ひとりが主役になって、「お互いに学び合う社会教育」「まちや社会を自分たちで育てていく社会創造型の活動」にしていく段階に来ているのではないかと思います。
それは同時に、私たち一人ひとりの社会性や市民性を高めていくことでもあります。
そこで、3年ほど前に、「みんなの社会教育ネットワーク準備会」を友人たちと立ち上げました。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2016/02/post-04b2.html
しかし残念ながら、その試みは挫折したまま、今もって動き出せずにいます。
ところが、社会教育の地殻変動は、現場では広がりだしているようです。
この本を読んで、大きな元気をもらいました。
その一方で、やはり改めて「社会教育」の捉え方を変えていくことの必要性を実感しました。
そこで一人でも多くの人に読んでほしいと思い、本書を紹介させてもらうことにしました。
さいたま市のある公民館の俳句サークルで選ばれた秀句が、いつもなら掲載されるはずの「公民館だより」への掲載を拒否されるという事件(2014年6月)は、覚えている方も多いでしょう。
その対象になった俳句は、「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」。
その句が、「社会教育の政治的中立性」という理由で、行政から掲載拒否されたのです。
俳句の作者と仲間たちは行政に異議申し立てし、その支援者も広がりだしました。
しかし、市民と行政との話し合いは、うまくいかずに、訴訟にまで発展し、「九条俳句不掲載事件」として今なお争われているのです。
一審で敗訴した行政は控訴し、高等裁判所による控訴審の判決が、この5月18日に出されます。
俳句サークルの人たちやその応援団の人たちは、この数年、社会教育法をはじめ、さまざまなことを学びながら、「おかしなことをおかしい」と主張してきました。
問題を広く知ってもらうための公開イベントなども開催してきました。
新聞やテレビでも取り上げられましたので、湯島のサロンでも話題になったことはありますが、私は、そんな動きが広がっていることさえ知らずに、最近では忘れてしまっていたことを大いに反省しました。
本書は、こうした「九条俳句訴訟」事件のドキュメタリーです。
今月18日の高裁判決に合わせて緊急出版されました。
自治体から突然、理不尽な圧力を受けた女性たちが、それに抑えられることなく、正面から対峙し、公民館で住民が学び続ける意味を再確認するとともに、表現の自由を守る活動へと広がっていった経緯が、事件に関わったさまざまな人たちの「思い」も含めて、立体的に紹介されています。
本書から、この事件から見えてくる最近の日本の社会の「あやうさ」と、実践活動を通してのメッセージが伝わってきます。
原告作者は「もう70年前の様な時代に逆戻りは絶対ごめんです」と、2015年7月の提訴にあたっての呼びかけ文に書いています。
また、かつて公民館職員だった方が、ある事件に関連して、かつて社会教育と政治の関係について次のように述べていたことが紹介されています。
「私たちの生活に関する話題は、そのほとんどが政治にかかわることだといっても過言ではありません。政治にかかわる事柄が、政治的だという理由で公民館活動のなかで禁止されるとしたら、人間の自己教育活動としての社会教育は成立しなくなってしまうのではないでしょうか。」
まったく同感です。
俳句の掲載拒否の理由はいうまもなく『九条守れ』が問題視されたのです。
そもそも憲法を遵守しなければいけない行政職員が、憲法を守れということに否定的という、それだけも公務員の倫理責任に反するようなことが堂々とまかり通るようになっている現実は、変えていかねばいけません。
一人でも多くの人に本書を読んでいただきたいと思います。
6月には、本書をテーマにしたサロンを湯島で開催する予定です。
また、社会教育のベクトルを反転させた「みんなの社会教育ネットワーク」も、再挑戦しようと思い出しています。
共感して下さる人がいたら、ぜひご連絡ください。
なお、本書の目次は次の通りです。
その合間に、この問題から見えてくる重要な「キーワード」の解説もあります。
【第Ⅰ章】九条俳句不掲載一何が問題か?-
【第Ⅱ章】九条俳句不掲載損害賠償等請求事件の原告主張と地裁判決
【第Ⅲ章】九条俳句訴訟の争点と課題
【第Ⅳ章】社会教育施設の学びの自由を守るために
【資料】判決文(全文)/弁護団声明/九条俳句市民応援団声明
| 固定リンク
「政治時評」カテゴリの記事
- ■お米は国民に無料配布するのはどうでしょうか(2024.09.05)
- ■私が政治家を評価する基準は税に対する姿勢です(2024.09.04)
- ■「江戸の憲法構想」は面白いです(2024.08.26)
- ■今回の都知事選ほどわかりやすい選挙はありません(2024.06.28)
- ■女性候補者を応援せずして何が女性か(2024.05.20)
「行政時評」カテゴリの記事
- ■なぜみんな地域活動が嫌いになるのか(2024.04.04)
- ■ふるさと納税制度の罪深さ(2023.01.10)
- ■行政と住民の不信感(2021.10.01)
- ■「ちょっと気になることを話し合う場サロン」も大切かもしれません(2021.07.02)
- ■自治体行政の仕事の邪魔をしているのは私たち住民かもしれません(2021.06.27)
「教育時評」カテゴリの記事
- ■NHKスペシャル「学校のみらい」(2024.01.25)
- ■日本の子どもたち(15歳)の精神的幸福度は38か国中37位(2023.06.05)
- ■クイズは楽しいのに入学テストはなぜ楽しくないのか(2022.01.17)
- ■半藤一利さんの最後の著書「戦争というもの」(2021.06.25)
- ■子どもたちはやはり信頼できます(2020.05.10)
コメント