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2018/05/23

■文化の違いが生みだす不幸

最近つくづく「文化の違い」を感じます。
多様な文化は、豊かさを生み出すと考えている私にとっては、同時にそれが、「不幸」を生み出すことに気づかされるのは、いささかさびしいことです。

たとえば、今回の日大アメフト反則行為事件。
昨日の実行者宮川さんの記者会見を見ながら、みんな「被害者」かもしれないと思ったのです。
それまでは内田監督に強い拒否感を持っていましたが、その気持ちが逆に薄れました。
問題は、それぞれの「文化の違い」なのだと思ったのです。

たとえば、狛江市のセクハラ辞職。
たぶん市長には「セクハラ」という意識はなかったでしょう。
それが「セクハラ」だと言われそうですが、ハラスメントとは「文化の違い」から生まれるのかもしれません。
ある文化の「常識」が、別の文化では「悪事」になる。

こうしたことはいくらでも出せるでしょう。
文化の多様性は、ある意味では「生きづらさ」を生み出すのかもしれません。
つまり「自由」こそが「生きづらさ」の原因にもなりうるわけです。

今日の朝日新聞の「声」(投書欄)に、12歳の中学生の山口君が『あこがれた「自由」は苦しかった』と投稿しています。
彼は中学校の入学式で「この学校には拘束はありません」と言われてうれしかったそうです。
それまで通っていた小学校には、厳しい校則があったからです。
しかし、校則がない環境で生活していくうちに、「自由は苦しい」ということに気づいたそうです。
湯島のサロンでも、同じようなことの体験談が語られたことがあります。

ちなみに、山口君は、今の心境も書いてくれています。
「いまは、苦しいかもしれないけれど、これからこの自由の中で色々なことを学び、早く自由を心から楽しめるようになりたいです」

もしかしたら、日本の育児や教育の世界は、順序を間違えているのかもしれません。
そのために、自発的な自己規制や主体性が育つ前に、管理的な規則(指示)遵守姿勢が育ってしまうのかもしれません。
多様な感性を持っていると悩むことも多いですが、機械の部品になれば、悩むことはありません。
「生きる力」とは何でしょうか。

オルテガは「大衆」の時代への危惧を指摘しました。
ネグリは、「マルチチュード」(群衆)の可能性を指摘しました。
可能性があるのであれば、それを信頼するというのが私の信条です。

ちょっとした「文化の違い」を、増幅させるのではなく、その根底にある共通性から、私は学びたいと思います。
そういう意味では、昨今のマスコミの姿勢には大きな危機感があります。
まるで全体主義国家時代のような報道姿勢には違和感を持ちます。

「文化の違い」を活かし合う、豊かな社会を目指したいです。
宮川さんも、狛江市長も、とても大切なことを学んだことでしょう。
私もまた、彼らと同じように、そこから学びました。
彼らは、いずれも象徴的な存在として、大きなメッセージを発してくれていますので。
宮川さんにも内田さんにも、狛江市の市長にも、感謝しています。
私の言動も質さなければいけません。

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