■節子への挽歌3871:「意味」を考えてはいけないこともある
節子
「生きる意味」をテーマにしたサロンの報告で、私が参加者の発言に失望して、疲れてしまったと書いたのですが、それを読んだある人が、メーリングリストにこう投稿してきたのです。
今晩は。 佐藤さんの、ヘルプメッセージのような?メールに、 参加もしてないのに、状況も解ってもなく。 なぜ生きるのか?について、大好きな絵本があります。 佐野洋子作、絵「100万回生きた猫」です。 絵本なのですが、読みごたえがありました。 読んでるうちに、泣けてきました。 土俵が、随分、ずれてたら、すみません。
「100万回生きたねこ」は、40年以上前に出版された佐野洋子さんの絵本です。
大きな話題になり、いまもまだたぶん増刷がつづいているのではないかともいます。
ミュージカルにもなっています。
ちなみに私は、まったく面白くありませんでした。
どうしてあんなに話題になったのか理解できませんでしたが、いまもって読まれているようです。
薦めてくださった方には申し訳ないのですが、今回、改めて読んでもやはり退屈でした。
物語の大筋は、誰かに依存して、何回も生まれ変わって生きていた猫が、恋をして家族を持ち、大切な人を亡くすことで、はじめて愛を知り悲しみを知る、そしてもう生まれ変わることはなかったという、輪廻転生と解脱の話です。
しっかりと自分を生きないといけないと死ねないよというかたちで、生きることと死ぬことは同じことというような意味も含意されています。
そこに「生きる意味」のヒントがあると思う人もいるのでしょう。
私にはピンときませんが。
今回、ついでに、この絵本を契機に生まれた「100万分の1回のねこ」という、アンソロジーを読みました。
3年ほど前に出版された本です。
これはとても面白かったですが、なにかみんなくらいのです。
「生きる意味ってなんだろう」などと考えると、人はどうも暗くなるのではないか。
そんな気がしてしまいます。
「生きる意味」などあるはずがない。
「意味」を考えてはいけないこともあるのではないか。
それが私の最近の考えです。
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