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2018/05/24

■日大アメフト反則行為事件に思う事その2

日大アメフト反則行為事件に関連して3つの記者会見がありました。
被害者の父親、加害者本人、そして日大関係者です。
それを見て、改めて文化の違いを実感しました。

とりわけ強烈だったのは、日大アメフト部の内田監督と井上コーチの記者会見でした。
たぶん日本国中ブーイングで、その報道の仕方も強烈です。
しかし、私自身は内田監督や井上コーチの心境も、それなりに理解できます。

ですから、内田さんと井上さんを一方的に非難する風潮にはやはり違和感を持ちます。
そして、立場が弱くなった途端に、姿勢を変えるマスコミと、それに同調する「大衆」には恐ろしさを感じます。
宮川選手を生み出したのが、日大アメフト部の文化なら、その日大アメフト文化を生み出したのが何なのか、そして、私もまたそれに遠くではつながっていることを、それぞれがしっかりと認識して、批判したいものです。

それ以前に、森友・加計学園、官僚の記録文書の意図的廃棄などの方にこそ、そのエネルギーが向かってほしいものです。
内田さんと安倍首相を比べたら、私には安倍首相の言動の方こそ、大きな問題ではないかと思っています。

私は「文化の違い」を理解しあえていないことが問題ではないかと考えています。
違った文化であることを理解しないと、会話は成り立たない。
それを踏まえて、問題を考えていかないとすれ違いと非難のやり取りで終わってしまうからです。

私は昨今のスポーツのあり方には強い拒否感があります。
スポーツ産業化を感じています。
最近のスタイルのオリンピックには賛成できません。
オリンピック産業に便乗する人たちとは別の世界に住んでいるので、彼らを否定はしませんが、共感はできません。
また、芸能やスポーツの分野で、親が子どもを一筋に集中させることにも嫌悪感を持っています。
先日、湯島でやった「児童労働」とどう違うのかと思うことさえあります。

企業や政治も同じですが、そうした文化そのものを考え直すべきではないかと思っています。
せめて、その次元で、お互いに分かり合って、より良い方向を一緒に創りだす。
それが大切ではないかと思います。

異論にも耳を傾けて相手を理解するとともに、自らの考えを相対化しようと言いたいのです。
相手を責めてばかりいる姿勢には共感はできません。
格闘技はもちろんあまり好きではありません。
射撃などがスポーツと言われると拒否感が生まれます。

国会デモのシュプレヒコールは、私には安倍首相の空疎な答弁や今回のラフプレーに通ずる「暴力性」を感じて、最近はその種のデモには参加できなくなっています。
「デモ」とは何かも捉え直したい。
力に対して有効なのは力ではないと思っています。
核抑止論否定論者で、ガンジーのスタイルに共感します。

最近では、文化の多様性が消えて、ほぼみんな「金銭経済の文化」に取り込まれていることに大きな危惧を感じます。
働き方改革法案の問題設定にも基本的に違和感があります。
働き方ではなく、生き方を見直すべきではないのか。
そもそもライフ・ワーク・バランスや男女平等参画と言っている発想を見直すべきではないかとも思っています。

書きだすときりがないほど、現代の社会には違和感があります。

蛇足ですが、内田監督や井上コーチを一方的に非難するテレビタレントにも、哀しさを感じます。
彼らはまったくリスクを取っていない。
もっと怒りを持つべき対象が、自分の世界にもあるだろうと言いたい気分です。

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