■節子への挽歌3849:意味のない世界
節子
昨日につづいて、今日も寒い日になりました。
この3日ほどで気温が10度以上変化していますので、身体にも堪えます。
その上、今日は雨。
悟りを開くと世界はどう見えてくるのだろうかと、ふと昨夜思いました。
とても退屈かもしれません。
そこには「人」はいないかもしれません。
そんな気がしました。
最近、テレビのニュースを見ていても、そこにまったくと言っていいほど、意味が感じられなくなってきています。
しかも同じことを、着飾ったり、ぼやかしたりして、時間を埋めているようにさえ感じられることが多いのです。
人はなんでこんなことを話題にするのだろうかとも思います。
寒い雨のせいか、わけのわからない書き出しになりましたが、節子がいなくなってから世界の意味が一変してしまった後、やはり戻っていないような気がしています。
意味のない世界で、生きるのは結構退屈です。
しかし、生きつづけないわけにはいきません。
そこに矛盾があります。
自らを元気づけてはいますが、時に「堕ちて」しまう。
雨なのに、今朝はすぐ近くで鳥がさえずっています。
節子でしょうか。
今朝はちょっと不快なメールが、いくつか飛び込んでいました。
精神がなかなか安定しません。
昨日は意識を変えて、サロンの企画をいくつかまとめ、案内をつづけさまに2つも出したのですが、すっきりしません。
悟りとは程遠い状況です。
一度揺らいだ心は、なかなか元には戻らない。
支えによって何とか維持されてきていたことを、改めて思い知らされます。
やはり最近少し疲れているようです。
どうしたら抜け出せるでしょうか。
無彩色の世界に、いのちが戻るにはどうしたらいいのか。
ちょっとした「うつ」状態でしょうか。
困ったものですが、今日は元気が出ません。
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