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2018/05/31

■誕生日に「おめでとう」のメッセージを送ること

私は、儀礼的な挨拶が苦手です。
そういう挨拶をするのはなんとかできますが、応えるのが特に苦手です。
困ったものですが。

昨日、喜寿の誕生日でした。
フェイスブックには、誕生日にメッセージを送ることが仕組みとして組み込まれています。
最初はそれがいい仕組みだと思っていました。
年賀状も同じですが、年に1回、普段あまり交流のない人に、安否もかねて交流することに大きな意味があると思っていました。

しかし、最近は、基本的には誕生日に「おめでとう」というメッセージを送るのをやめました。
というのは、そういうメッセージが私のところにも来ることで感ずることがあったからです。

もちろん、うれしいメッセージは少なくありません。
昨日も、そういううれしいメッセージも少なからずありました。
しかし、フェイスブック仕込みの画像などが送られてくるのは、私の趣味ではありません。
年賀状や何かの記念日の時に、メールで既成の動画ハガキが添付されてくるのも同じですが、これほど味気ないものはありません。
あまり交流もなく、パーティなどで数回お会いした人から、人生の意味などを説かれると、相手を間違っているのではないかと、その人の姿勢に違和感を持ちます。
きっと誰にでも出すパターン文章なのでしょう。
あんまり書くと、人を非難することになりかねないのですが、挨拶とはもっと「心を込めて、相手に寄り添う形で(つまり標準パターンではなく)」送るものだと思います。
だからと言って何も長いメッセージである必要はありません。
同じ「おめでとうございます」の一言であっても、その人との関係性で、言葉の裏にある「気持ち」が伝わってくることもあります。

「誕生日にどうしておめでとうというのか」という、ひねくれた問いかけを昨日書いてしまいました。
いろんなアドバイスをいただきました。
私が言いたかったのは、「おめでとう」という言葉を、フェイスブックで「いいね」を押すような気持ちで送ることへの問いかけでした。
なんでこの人に「おめでとう」というのだろうかと、ちょっと考えるだけでもいいかもしれません。
機械的に、ただ「符牒」として、「おめでとう」と声をかけることに疑問があるのです。
人によっては、また時期によっては、「おめでとう」と言われたくない誕生日の時もあるのです。
それに、「おめでとう」ではなく、誕生日ですね、というだけでもいいでしょう。

どうして私はこの人に「おめでとう」と声をかけるのだろうか。
それをしっかりと考えた上での「おめでとう」は、それでも私には少し違和感はありますが、素直に受け入れることはできます。
しかし、FBから「今日は誰それさんの誕生日なのでメッセージを送信しよう」などといわれて発信するような風潮には、いささかの違和感があります。
バレンタインデイにチョコレートを送ろうという風潮がかつてはかなりありましたが、そうした風潮にしたがうことは私が一番嫌いな行為でした。
従って、チョコレートは嫌いだなどと嫌味を言ったりしてしまいましたが、実はチョコレートは好きなのです。
最近は幸いに誰からもバレンタインデイのチョコレートは届きません。

また余計なことを、しかも誤解されそうな書き方で書いてしまいました。
また友だちが減りそうです。
困ったものです。

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