■節子への挽歌3845:子育ての責任
節子
大型連休も終えた途端に、いろんなことが動き出しそうです。
期待していたことも、していなかったことも、ですが。
もしかしたら、私と同じくこの連休を無為に過ごしすぎたのかもしれません。
急に忙しくなりそうです。
今日は湯島の縁カフェでした。
常連化したのがちょっと問題ですが、必ずと言っていいほど、一番にやって来るのが、小学生のお母さんのOさんです。
彼女はいまの政治の状況に、強い怒りを感じているのです。
財界の人たちにも怒りを感じています。
学校のあり方にもです。
何かしたいのだがどうしていいかわからない。
実際にいろんな行動を起こしているようですが、流れはどうも変わらない。
その怒りをぶつけに湯島の縁カフェに通ってくるのです。
こういう人の居場所になれることはうれしいのですが、話を聞きながら、私が叱られているような気もします。
このままで、子どもたちの未来はあるのかと言われれば、答えに窮してしまいます。
今日は、子育ての話も出ました。
私には、あまり語る資格はないのですが、話しているとどうしても節子のことを思い出します。
私も節子も、子育ては失格でした。
子どもは育つものという思いが強すぎました。
たぶん2人とも、親の反対を押し切って生きてきたからです。
いまにして思えば、あまりにも親勝手なことがおおすぎました。
その咎は、いま私がすべて受け止めています。
節子にもシェアしてほしかったです。
節子がいたら、状況は大きく変わっていたと思いますが、父親と娘の関係は、結構微妙です。
2人の娘は、とても親思いではありますが、付き合うのは大変です。
時々、節子に助けに来てほしいと思うことがあります。
子育て議論は、私にはとても苦手です。
心が痛むことがあまりに多いからです。
節子にも、責任を半分とってほしいといつも思います。
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