■節子への挽歌3905:地震報道をずっと見てしまいました
節子
今日はずっと地震の報道を見続けていました。
私たちは、幸運にもこうした自然災害には巻き込まれることはありませんでした。
最初に現地情報が届いたのは、散乱している自宅の部屋の様子をアップしてくれた友人知人のフェイスブックでした。
その生々しさが伝わってきます。
いまは、そうしたことが共有されやすいために、お互いに支え合う関係が自然と生ずるような気がします。
私の友人は被災地の独り住まいの高齢者と連絡がつかないため、新幹線が動き出したらすぐに行くので、今週の予定をキャンセルしてくれと言ってきました。
しかし、その後、連絡がつき、大丈夫だったことがわかり出かけるのをやめたと連絡がありました。
相手の状況がわからない不安は、とても大きいですが、最近はネットなどで現場の状況が目で確かめられるので、いろんな意味で心を共有できるようになってきています。
視覚的に生活状況がシェアされる意味はとても大きいです。
夕方になって、連絡がつかなかった人とも連絡が取れ、私も一段落しました。
今日は、何も手につかない1日でした。
何もしなかったのに、とても疲れました。
彼岸には地震はないのでしょうね。
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