■節子への挽歌3911:風の声
節子
風の声に目が覚めました。
わが家は、節子も知っているように、「風の道」に当たっているようで、南風が強く当たります。
強風の時は怖いほどです。
今日はさほど強い風ではないのですが、風音だけが時々強くなります。
自然は生きていて、意識さえも持っていると、私には感じられます。
そして、その自然と自分の心身がつながっているとも感じます。
今朝の自然は、何を怒っているのでしょうか。
祝いの風ではなく、怒りの風であることは、間違いありません。
昨日は鏡面のようだった手賀沼の湖面が、今朝はさざ波だっています。
最近、わけのわからない事件の報道が増えています。
昨日も若者が交番を襲い、警官を刺殺し、拳銃を奪い、その拳銃で小学校に押し入り警備員を銃殺した事件が起きました。
毎日のように、人が死ぬ事件の報道に接していると、心が病んでくるようで、できるだけテレビや新聞は観ないようにしていますが、どうしても目に入ってきます。
人が人を殺せるという事実が、私にはまったく理解できません。
人ではなくなっているのでしょうか。
その一方で、はしゃぎまくりサーカー報道を見ていると、これまた気持ちが萎えてきます。
私にはまったく理解できないような奢侈な暮らしぶりの報道も少なくありません。
企業経営者や有名スポーツタレントが何億という年収を得ているという話にも違和感があります。
これも私には、人とは思えません。
世界はどうなっているのか。
風の声には、その怒りを感じてしまうのは、私の最近の不幸な精神状況のせいでしょう。
どうもこの数日、身心が疲れ切っている気がします。
2日間、畑仕事もしていたのですが、精神の安定は取り戻せていないようです。
些細なことに心の中の邪悪なものが反応してしまい、人がまた嫌いになりだしていくような気がします。
節子への挽歌をまた数日書かなかったためかもしれません。
因果は立場を逆転し、時間を循環させるもののようです。
風の怒りは、まだ静まっていません。
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