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2018/06/11

■節子への挽歌3896:ヤバニスト

節子
那須の2日間は、不思議な2日間でした。
言葉にはなかなか成りませんが、初日の朝、みんなが会った時と2日目に別れた時とでは、少なくとも私のなかでは、意識が大きく変わっていました。
私以外の3人は、私と違ってしっかりした自分があり、自分の活動をしている人たちなので、自らの専門性もなく、流されながら自分を生きている自分としては、みんなちょっと輝いている人たちなのです。

今回、招待してくれたUさんとは、ゆっくり話したこともなく、どんな人なのかさえ分かっていませんでした。
NGOで世界の子どもたちに関わる活動をしている人だと思っていたのです。
ところが、那須に向かう車中で話しているうちに、私と同じく、企業で働いていて、その後、生き方を変えた人だと知りました。
心がぱっと開けた感じでした。
一緒に行った2人の若者たちの生き方は、自らの才能を活かしながら、それこそ自由に、しかしそれゆえに少し生きづらく、自分の人生を楽しんでいます。

快い時間を、みんなと共有できたのは、久しぶりです。
旅行が嫌いになっていたにもかかわらず、不思議な2日間を過ごしたことが、帰宅後に気づきました。
その気分のなかで、挽歌も書かずに過ごしてしまいました。
書きたいことがありすぎて、書けなかったわけです。

今回のキーワードの一つが「野蛮」でした。
そこから「ヤバニスト」なる言葉が生まれました。
ちょっと「響き」がよくないですが、2日間、生活を共にしたおかげで、私もとても気に入っています。
私が探していたものが、少しだけ見えてきたような気がします。

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