■節子への挽歌3900:寒い雨空を見ていると心も寒くなります
節子
昨日からまた寒くなってしまいました。
昨日は雨だったのですが、節子もよく知っているKさんから呼び出されて、4時間半、激論してしまいました。
途中でいささか疲れて、席を立って帰ろうかと思いましたが、かろうじて、また椅子に座れました。
節子がいなくなってからは、そういう「切れること」はほとんどなくなりましたが、以前は時々切れてしまいました。
節子に八つ当たりしたことも少なくありません。
節子もそのうちに「かわし方」を身につけて、適当に「切れそうな私」を宙ぶらりんにするようになりましたが、そのおかげもあって、私も成長したのでしょう。
さらに、節子がいなくなってからは、いのちの火が消えてしまったように、「切れること」もなくなってきました。
もっとも別の意味で、切れるというよりも、投げてしまうことは一時期ありましたが、最近はそれもなくなりました。
昨日も後半は仲良く話し合えたのですが、その途中で、佐藤さんも奥さんが亡くなった後、大変でみんな心配していたと口にされました。
Kさんまで心配していたのかと驚きました。
心配のあまりかどうかわかりませんが、節子が亡くなってからぱったりと連絡が取れなくなった人もいます。
なぜなのか理由はまったくわかりませんが、たぶん私が変わってしまったのでしょう。
元気な人とは付き合いたいが、元気でない人とは付き合いたくないというのは、人としては健全な姿勢でしょう。
私もできればそうありたいですが、どうも人には誰と付き合うかの定めがあるようです。
業(カルマ)の結果かもしれませんが。
連絡が取れなくなったといえば、昨年、突然私のところに相談に来たNさんとも連絡が取れません。
元気だといいのですが。
必ずまた元気になって湯島に来ると言っていたので、それを信じていますが、昨今の不条理な事件に触れるたびに、気になります。
久し振りに寒い雨空を見ていると、いろんな心配事が頭をよぎります。
と思っていたら、体調を崩した友人からは元気そうな電話がありました。
どうやら私の心は、すべてお天道様にはお見通しのようです。
空が少し明るくなってきました。
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