■節子への挽歌3892:独りで映画を観ました
節子
昨日は久しぶりに映画を見ました。
岩波ホールで作品は「マルクス・エンゲルス」です。
作品自体は予想通り、退屈でしたが、ほぼ8割以上、席は埋まっていました。
その多くが私と同世代のような気がしましたが、夫婦で来ている人も多かったです。
前にアレントの映画を見た時もそう感じましたが、実にうらやましいです。
節子と一緒に見た映画もいくつかありますが、いつも思い出すのは「永遠と一日」です。
そのことは前にも書いた記憶があるので書きませんが、あの映画を見た時はまだ節子が発病する前です。
銀座の映画館で観たのですが、映画館を出てからも涙が止まらずに、嗚咽するほどでした。
なぜあんなに悲しかったのか。
いまにして思えば不思議です。
もしかしたら、節子との別れと独りの老後を予感していたのでしょうか。
映画はDVDで持っていますが、見直す勇気はありません。
映画は、すべてを思い出させるからです。
観ることのできない映画はほかにもありますが、「永遠と一日」は観たい気持ちも半分はあるのです。
「マルクス・エンゲルス」は、退屈ではありましたが、面白くもありました。
マルクスもエンゲルスも、いずれも大きな夢を伴侶と一緒に取り組んでいます。
私の夢は彼らのような大きくはありませんが、小さな夢でも、いや夢には程遠い日常の活動でも、さらに言えば「生きること」そのものでさえ、やはり伴侶の不在はさびしいものです。
映画を観ながら、物語とは関係のない、そのことが心に沁み込んできました。
老後のゆるやかな日々に、夫婦で映画を観に行く。
そのことが最高の幸せの一つであることを、このご夫婦たちはわかっているのだろうか。
ふとそんなことさえ考えてしまいました。
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