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2018/06/16

■節子への挽歌3902:節子とにこ

節子
挽歌はまだ40くらい追いついていないのですが、なかなか追いつきません。
がんばって書くとまた書けない日があって、結局、差がなかなか縮まりません。
まあそれが、いつも節子から指摘されていた、私の悪い習癖でもあるのですが。
地道にコツコツやれるタイプではないのです。

今日は畑にもいかず、外出もなかったのですが、かと言って何かをやるわけでもなく、なんとなく過ごしていたのですが、午後、ジュン親子が来ました。
ちいき新聞に、にこのことが出たと言って持ってきました。
ジュンには内緒で、添付しましょう。

この写真は私の好みではないのですが、なぜか母親は気に入っているようです。
ここに書かれているように、孫のにこは、まわりの人をニコニコさせてくれます。
しかし、私の名前もようやく覚えて、私が不在のときにやってくると、「おしゃむはどこ」と訊くそうです。
今日もやってきた時、2階から降りていく階段の音を聞いて、「おしゃむだ」と声に出していました。
それだけでも、おしゃむはちょっと幸せな気分になるのですから、子どもは本当に大きな力を持っているのです。
その力が、素直に育つような社会になればいいのですが、どうもそうはなっていないようで、子どもに関する不幸な事件は後を絶ちません。
しかし、振り返って私の子育てのことを思い出せば、私自身果たして本当に子どもの育ちを支えてきたかと言えば疑問です。
節子も私も、たぶん余裕がなかったのです。

先日湯島に来た、ある母親が、これまではともかく「死なせないで育てることに一生懸命だったが、やっと余裕ができてきた」と言いました。
その時に、私は改めて、母親にとっての子育ての大変さを教えられた気がします。
その大変な部分を節子に押し付けて、いいところだけを私が楽しんでいたのかもしれません。

孫を見ていると、子どもが大人になることの大変さを教えられます。
孫から教えられることはたくさんあります。
ただ、孫と一緒にいて、いつも思うのは、節子が孫と遊べなかったことです。
今日も、ジュンが節子の写真をにこに見せて、これは誰と訊いていました。
直接会ったことはないのですが、節子のことはきっとにこの心には育っていくでしょう。
ジュンに感謝しなければいけません。

20180615


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