■節子への挽歌3939:暑さが嫌になってしまうとは、私も老いてしまいました
節子
今日はさすがに朝から暑いです。
リビングの温度もすでに30度を越しています。
今朝は畑もやめました。
庭の花に水をやるだけでも汗びっしょりです。
エアコンをつけたほうがいいようですが、うまく作動してくれるといいのですが。
でもその前にシャワーを浴びたほうがいいかもしれません。
エアコンはできるだけやめたいと思うのですが、自分の体力の衰えも自覚しなければいけません。
今日は湯島でサロンなので、出かける予定ですが、駅までの途中で倒れそうなくらい暑いです。
ユカに車で送ってもらおうと思います。
最近はいつもそうです。
困ったものですが。
もう少し涼しかったら、上野の長浜kannon houseに寄りたかったですが、今日はやめましょう。
あまりに暑い。
しかし、夏は暑いからこそ夏なのです。
節子はよく知っているように、私は夏の暑さは歓迎していました。
暑さに汗をかき、寒さに震える。
これこそが生きることだと思っていたのです。
しかし、それもまた節子がいたからこそだったかもしれません。
独りは、暑さも寒さも、ただただ暑いだけ、寒いだけです。
どうしてこうも同じことの意味が変わってしまうのでしょうか。
これは別に、暑さや寒さだけではありません。
分かち合うことのできる人がいるかいないかで、世界の意味は変わります。
分かち合える人がいれば、たぶん寛容になれるのです。
苦も楽になり、不安も希望になる。
今朝のテレビで、5人の人が一室で練炭自殺をしたことが報道されていました。
死を分かち合えるのであれば、もっと豊かな生も分かち合えたはずです。
とても残念でなりません。
湯島に来てくれたら、という気がちょっとしますが、最近はそうした勇気もちょっと萎えてきています。
暑さが嫌になってしまうとは、私も老いてしまいました。
跳ね返さないといけません。
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