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2018/07/29

■節子への挽歌3968:死者との関わり方としての名前

節子
昨日はぐだぐだして過ごしていましたが、ボルネオの少数民族プナンの生活ぶりを報告している人類学者の本「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民」を半分読みました。
ちょっと元気が出る本です。
私の生き方もまんざらおかしくないと思えますので。

その本に死者を弔うやり方の章がありますが、プナンの人たちの死者とのかかわり方は、日本人とはかなり違います。
身近な人が死ぬと、死者ではなく、残された家族・親族が名前を変えるのだそうです。
死者に戒名をつける日本人のやり方とは、ある意味、真逆なのです。
そこにはさまざまな意味があると考えられていますが、たとえばその一つは、残された人たちを、しばらくの間、死者だけに独占してもらえるようにするためという捉え方です。
死者にあの世に持っていってもらうというわけです。
殉死にも通ずる考え方です。
ちなみに、プナンでは、人間は〈身体〉〈魂〉〈名前〉の3つの要素を備えた存在と考えられていて、個人の「名前」はとても大きな意味を持っています。
ですから、名前を変えるということは、それまでの身体や魂といっとき離れるほどの意味があるのでしょう。
とても含蓄に富む風習のような気がします。

戒名は日本の文化の一つですが、考えようによっては、死者には冷たいような気もします。
私は毎朝、節子の位牌に呼びかけていますが、戒名で呼んだことはありません。
あまり深く考えたことはなかったのですが、戒名はやはりつけなければよかったと少し悔やんでいます。
彼岸でも「佐藤節子」でよかったような気がします。
まあ、また考えが変わるかもしれませんが。

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