■節子への挽歌3932:高月のメロン
節子
高月のメロンが届きました。
高月は節子の生家のあるところです。
節子の叔父がメロン栽培をしていたので、以前から送ってもらっていましたが、その叔父ももうずっと前に亡くなってしまいました。
最近は節子の生家から、毎年送られてきます。
娘夫婦にもお裾分けして、毎年、いただいています。
早速、節子に供えさせてもらいました。
わが家は、いろんな人がいろんなものを送ってきてくださいます。
感謝しなければいけませんが、まあお布施を受け取るのもまた、お布施なのだというのが私の考えなので、最近はあんまりお返しもできていないことに気づくことも少なくありません。
でもまあ、いつかはきっとお返しできるでしょう。
今生とは限りませんが。
節子の叔父の思い出もいくつかあります。
しかし、今ではその思い出を話し合える人もいなくなってしまいました。
こうして、人はだんだん、此岸から彼岸へと移っていくのでしょう。
節子はまだしばらくは、私を介して此岸でかなり存在していますが、私が彼岸に行ったら、たぶん主軸は彼岸へと移るでしょう。
夫婦と親子とでは、同じ家族でも大きく違うような気がします。
子どもは親を思い出として捉えますが、夫婦の場合は、共に暮らした片割れとして捉えます。
過去ではなく、今もあるという感覚が強い気がします。
私だけなのかもしれませんが。
高月にもしばらく行っていません。
高月は「観音の里」と言われるくらい、観音像がたくさん残されているところです。
その観音たちにも、最近はお会いしていません。
たぶん表情がまた変わっていることでしょう。
これまでも何回かお参りした観音たちも、毎回、表情が違います。
仏たちの表情は、本当によく変わります。
こんなことを言うと、節子はいつも笑っていましたが。
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