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2018/07/28

■節子への挽歌3966:歳をとったわけです

節子
節子と同じ年にがんの手術をしたユカの友だちのお母さんが亡くなりました。
節子よりも10年長生きしたわけです。
節子と違って最後まで痛みのないがんだったそうです。
そう聞いただけで少しホッとします。

死は、それぞれに違います。
たくさんの死者を見てきた友人からもお聞きしましたが、死に顔が幸せそうな人とそうでない人が、やはりいるそうです。
節子は、はたから見ていても壮絶な闘病生活を1か月過ごしましたが、旅立ちの瞬間と死に顔はとても穏やかでした。
それは、節子が最後に残してくれたプレゼントでした。

今日はもうひとり訃報がありました。
こうして社会は世代替わりしていくのでしょう。

訃報ではないのですが、これもまたちょっとショッキングなメールが来ました。
節子もよく知っているHさんとしばらく会っていないので、メールを出しました。
私よりも一回り若いHさんももう60代で、大学の仕事もそろそろ定年だそうです。
ところが4年ほど連絡がなかったのは、親の介護が関係していたようです。
彼は独身なのですが、いまは母親と同居し、食事づくりも自分でやっているのだそうです。
あのHさんが、とそれこそ驚きです。
まさに天才的な研究者的人生を気儘に過ごしているとばかり思っていましたが、Hさんが料理をしている姿はイメージできません。
時代はどんどん過ぎているのです。

昨日、若い友人にも話したのですが、私は今、老人の私と若者の私が心の中に同居していて、時々、その両者のギャップを感じて混乱することがあります。
昨日も湯島のオフィスに行く途中の階段で、なんでこんなに身体が重いのだろうと不思議に感じたのですが、高齢になると身体はむしろ心の動きを制約します。
時の経過をきちんと認識しなければいけません。

どうもそれが苦手なのです。
シュメール人が時間を発明する前の人類の血が、突然変異的に出現してしまったのかもしれません。
周りの風景の変化をしっかりと認識できない自分がいるようです。

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