« ■節子への挽歌3922:パンとサーカスのなかでは生きたくありませんが | トップページ | ■節子への挽歌3924:サンティアゴ巡礼からの便り »

2018/07/06

■節子への挽歌3923:死刑の執行

節子
次の用事まであと1時間近くありますので、挽歌をもう一つ書きます。
前の挽歌を書いていて、どうして今日は元気が出ないかの理由に気づきました。
今朝のテレビで、1995年の地下鉄サリン事件などを起こしたオウム真理教の元代表と元幹部の7人の死刑が執行されたことが報道されていました。
いつもそうですが、やはり「死刑執行」というのは聞いただけで心が萎えます。
朝食をしながら、娘に被害者の遺族は喜んでいるかなと聞いてしまいました。
そうしたら娘は、もし家族が被害者だったらお父さんはどう思うか、と問われました。
被害にあった時なら、殺したいと思うだろうが、これだけ時間が経てば、むしろ死刑執行に反対するだろうと応えましたが、そう答えたすぐ後に、テレビで被害者の遺族が、むしろ死刑執行に肯定的なコメントしていました。
娘によれば、遺族の人たちは死刑執行に立ち合いたいという意向も持っていたそうです。
複雑な気持ちになりました。
憎しみは、なかなか消えないのです。

地下鉄サリン事件があった当日、私たち家族はトルコ旅行に行っていて、その移動中のバスで事件のことを知りました。
それもあって、この事件はいろんなことをもい出させることの一つなのです。
もしトルコに行っていなかったら、私たち家族の誰かが、あの地下鉄に乗っていた可能性はゼロではありません。
娘の通勤路でもありました。
もし家族が事件に巻き込まれていたら、私の考えは変わっていたでしょうか。
でもたぶん、死刑執行のボタンは押せないでしょう。
人の生命は、人の操作の対象にすべきではないという考えになっているからです。
さらに言えば、もっと自らの生命を尊重したからです。
死刑執行のボタンを押したら、松本死刑囚と同じくなってしまうような気がするのです。
そういう状況に、誰かを置いてしまう、いまの死刑制度には反対です。
いかあに怒りが大きくても、死刑はよくない。
それでは戦争反対を主張できないようにさえ思います。

相変わらず論理が飛躍しすぎていると叱られそうですが、死刑執行の報道に接してから、どうも元気が出ないのです。
死刑囚のことを慮ってのことではありません。
死刑執行に関わった人たちのことを思うと、どうしても心が晴れないのです。
それにしても7人の死刑執行を同時に行う。
やはり心の震えを止められません。

節子だったらどういうでしょうか。

|

« ■節子への挽歌3922:パンとサーカスのなかでは生きたくありませんが | トップページ | ■節子への挽歌3924:サンティアゴ巡礼からの便り »

妻への挽歌18」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30899/66907291

この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌3923:死刑の執行:

« ■節子への挽歌3922:パンとサーカスのなかでは生きたくありませんが | トップページ | ■節子への挽歌3924:サンティアゴ巡礼からの便り »