■節子への挽歌3916:貞士は福をもとむるに心無し
節子
私の生き方に関して、友人たちは「偏屈」「天邪鬼」「仙人」と言います。
なかには「バカだ」という人さえいます。
私自身は、極めて素直に生きていると自負していますが、そう言われると、あながち否定はできません。
ところが時には、ほめてくれる人もいます。
私よりも年上の画家のSさんから、突然、メールが届きました。
大変な状況だったのが、運が開けてきたという、うれしい報せです。
その報せの返事に、うっかりと逆に私は今ちょっと大変で、久しぶりに対価をもらう仕事を始めようと思っていますと書いてしまいました。
そうしたらすぐにSさんからメールが来ました。
貞士は福をもとむるに心無し。 佐藤さんは貞士ですので、天はその無欲な心に感じて必ず幸福を与えてくれると思います。
「貞士は福をもとむるに心無し」
恥ずかしながら、この言葉を知りませんでした。
そもそも「貞士」という言葉さえはじめてです。
ネットで調べてみました。
中国の明代末期に書かれた処世訓『菜根譚』に出てくる言葉でした。
『菜根譚』は、江戸後期の日本に伝わって愛読されたそうですが、『菜根譚』という書名は聞いたことがありますが、内容はまったく知りませんでした。
そもそも処世訓というのは、私にはまったくと言っていいほど関心のないことですし。
この言葉の意味は、「節義のかたい人物は、福を求めようとする心がない。そこで天は、この福を求めるに無心な点に報いるために、その人物のまごころを導いて福を授ける」ということだそうです。
「貞士」とは「節義のかたい人物」。
いやはや過分どころか、私には縁遠いように思いますが、そう言ってもらえたことには素直に喜ぼうと思います。
それに何よりも、「福を授けてくれる」ことは素直に信じるのがいいでしょう。
いま私が直面しているいくつかの難事が解消されるのも、間もないかもしれません。
たしかに、それを予兆させる、うれしい話が最近は届くようになってきています。
Sさんはこう書いています。
私は強運を持っていますが、ホームレス寸前まで追い詰められないとその運はやってきません。 だからいつも「ゆとりを持って与えてほしい」と天に願っています。
天は、私には、ゆとりを持って福を授けてくれるでしょうか。
あやうく「欲を出して」、貞士失格になりそうです。
しかし、正直のところ、今の私は「無欲」とはほど遠く、欲に覆われています。
これ以上の幸せは望まない。
そういう気持ちもかなり強いのですが、時に強欲な自分に気づくことも多いです。
困ったものです。
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