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2018/07/28

■節子への挽歌3965:1日で枯れる供花

節子
昨日、山梨の増田レナさんが湯島でサロンをしてくれました。
2年前に起こった津久井やまゆり園の障害者殺傷事件がテーマでした。
その報告はまた時評編でしますが、サロンの始まる前に、増田さんと中下さんとで話をする時間がありました。
なにしろ人間に関して実践的にたくさんの活動をしている2人なので、たくさんの気づきをもらったのですが、増田さんの供花の話は、私が気付いていなかったことでした。

家の庭に咲いている花は、仏さまに供えると1日で枯れてしまうものが多い。
だから、毎日、仏さま(故人)に話しかけられる。

畑作業の話から、1日、水をやりに行かないと枯れてしまうので大変ですという私の話につなげて、ぽつっと話してくれたのです。
長持ちする花ではなく、1日しか持たない花だからこそ、毎日彼岸とつながらせてもらうことができる、というわけです。
とても納得できるお話です。

長持ちする花よりも、はかなく散っていく花のほうが供花にはふさわしい。
思ってもいなかったことでした。
庭の花も、活け花にするとすぐに散ってしまうものも少なくない。
そうした花は供えるのをやめていましたが、考え違いでした。
長持ちする花を買ってくる発想を改めなければいけません。

ちなみに菊は長持ちします。
これもまた、別の知恵の物だろうと増田さんは話されました。
はかなく散ればいいというわけでもない。
供花一つとっても、たくさんの意味があるわけです。
なにしろ供花は、ネアンデルタール人以来の長い歴史をもっています。
そこにはたくさんの意味がある。
彼岸との交流から学ぶことは少なくありません。


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