■節子への挽歌3922:自分の経験のゆえに間違ったしまうことも少なくありません
節子
昨日、過労死遺族の方と会いました。
過労死問題から始まった「働き方改革」が話題になっていますが、私はその取り組み方が根本的に間違っていると思っています。
同時に、過労死遺族の方たちの姿勢にも大きな違和感があります。
当事者の方に、こんなことを言うと誤解されるどころか傷つけることになりかねませんが、昨日お会いした方は私のことを少しは知ってくださっている方だったので、ついそんなことまで話してしまいました。
後でとても反省しましたが、いつかこの「違和感」をきちんと書いておきたいと思っていましたので、いい機会かもしれません。
それに関しては、時評編の方で書こうと思います。
挽歌編では、昨日お会いした方のことを少しだけ書こうと思います。
その方は、伴侶を過労死で亡くしています。
昨日気付いたのですが、たぶん40代中ごろのことです。
私が知り合った頃は50代だったのですが、私は年齢を評価できないために、私よりもずっと若いころのことだったことに思いがいきませんでした。
それでついつい自分と同じような思いだと考えていました。
しかし、私のように60代での死別と40代での死別は、まったく違う経験なのだろうと思います。
これまでの私の対応は、もしかしたら間違っていたかもしれません。
しかもその人は女性ですので、これもまた大きな違いかもしれません。
昨日も、あることで、「佐藤さんはいつもそう言うけれど私はそうは思いません」とはっきりと言われてしまいました。
いやこの件だけではありません。
昨日は、もうひとり、旧友と会いました。
これはこの後の挽歌で書こうと思いますが、この人は胃がんのため、節子の体験を踏まえて、時々相談に乗っているのですが、これもやはり気をつけないといけません。
自分の経験のゆえに、間違ったしまうことは少なくありません。
頭ではわかってはいるのですが、ついつい自分の思いで話をしてしまいます。
これから注意しなければいけません。
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