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2018/07/31

■節子への挽歌3971:「長い第3四半期」

節子
フェイスブックを読んでいると時代が変わってきていることと併せて、自分がどんどんその時代から外れてきていることを思い知らされます。
とりわけ複雑な気分になるのは、若い世代の活動です。
たぶん私にも同じような時があったと思いたいのですが、前に進んでいる若者たちの活動には、輝くものを感じます。
「複雑な」と言ったのは、そこに大きな希望を感ずる一方、羨望と「終わったのだな」という寂しさを感ずるからです。
「生涯現役」という言葉は好きではありませんし、私の目指すところでもないのですが、生き方を次のステップに変えたいと、改めて思うようになってきています。
「長い第3四半期」はそろそろ終えるのがいいのかもしれません。
しかし実際には、むしろ「長い第3四半期」を引き延ばそうとする生き方にますます引きずりこまれているような気もします。

私は会社を辞める時に、人生を四半世紀ごとに捉え直そうと思っていました。
社会に育てられる第1四半期は、私の場合「ちょっと短い四半世紀」でした。
会社人として生きる第2四半期は、ぴったり25年間の四半世紀。
そして社会人として生きる四半世紀は、節子がいなくなって時間が止まってしまったために、だらだらといまもなお続いているのです。
その状況から抜け出ようという気がようやく生まれたのですが、次の第4の四半世紀の方向は定まりません。
理由はそれなりにあるのですが、生き方を変えるには理由は重要ではありません。
変えればいいだけの話ですが、そこから相変わらず逃げているのでしょう。

いろいろと思うことは多いのですが、惰性的な生き方の引力はとても大きい。
第2四半世紀を変える力は、節子の存在でした。
生き方を変えるには、やはり誰かの存在が必要なのかもしれません。
もしかしたら、多くの人は、変えたくとも、その存在がないために惰性から抜けられないのかもしれません。
だとしたら、私がその存在になれることもあるかもしれません。

自分は変えられないかもしれませんが、だれかを変えられる存在になることはできるかもしれない。
変えられるのは自分と未来だけ、と先日も中下さんが話していましたが、その言葉がその時、奇妙に気になっていました。
もしかしたら、変えられるのは「自分」と「未来」ではなく、「他者」と「過去」ではないだろうかとふと感じたのです。
これはもう少し考えてみたいと思いますが、「長い第3四半世紀」に居続けるかどうか、これもそろそろ考え出そうと思います。
もしかしたら、この2つはつながっているのかもしれませんし。

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