■節子への挽歌3959:相談より雑談
節子
昨日も暑い日でしたが、それ以上に重い日でもありました。
湯島である会社の人たちと会っていましたが、話をしているうちに、思っていた以上に根深い「問題」があることを感じました。
その会社とは数年前からの付き合いですが、ずっと気になっていることが見えてきたという感じです。
だいぶ信頼関係ができてきたので、いろんな情報が入ってきます。
このまま放置するわけにはいかないと思い出してはいるのですが、それに正面から取り組むのも荷が重すぎるのと時間がとられそうで躊躇してきていましたが、少しコミットしていこうと決めました。
私自身の精神状況が少しきつくなりそうですが。
もうひとり、突然やってきた人がいます。
1年半ほどご無沙汰していた人です。
部屋の掃除をしに来たというのが口実でしたが、何かの壁にぶつかっていることは間違いありません。
雑談をしていて、だいぶ状況がわかってきました。
実は2週間前にも彼女は一度、やってきましたが、抱えているものの重さを少しだけ感じたのですが、それを放出してはもらえませんでした。
昨日はかなり見えてきました。
湯島にはいろんな人が来ます。
節子がいた頃もそうでした。
来客が帰った後、あの人は何を死に来たのだろうかと節子とよく話したものです。
相談のようで相談ではなく、来た目的がわからない人が少なくなかったのです。
もちろん最初から「相談したい」と言ってくる人も少なくありません。
でも相談すべきことがわかっている人は、多くの場合、その答えもわかっているのです。
そういうことを30年近くやってきて感ずるのは、本当に必要なのは「相談窓口」ではなく、相談の前の「雑談の場」ではないかと思うようになってきました。
しかし、そう言うサロンもやってみましたし、いまもやっていますが、そう言う形ができた途端に、そこはもう違うものになるような気もします。
人にとって大切なのは、相談相手ではなく雑談相手、それもすべてをあっけらかんと放出できる相手です。
私の場合、それが節子でした。
そういう人がいれば、人はしあわせでいられます。
そうであれば、もし必要な人がいたら、私がそういう雑談相手になれればいいなと思っています。
ちなみに、私にとって節子はそういう雑談相手でしたが、伴侶がいつも雑談相手になるとは限りません。
それに雑談相手になるためには、やはりそれなりの時間が必要なのだろうと思います。
昨日は暑さと重さで疲れ切った1日でしたが、さらに夜中がなぜか眠れずに今日はいささか疲れが残っています。
涼しい朝ですが、畑に行く元気が出てきません。
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