■節子への挽歌3964:多くの生きものと同棲したい気分
節子
涼しさを感ずるほどの朝でしたが、太陽が出てきたら、途端に暑い夏に戻ってしまいました。
畑に行って、キリギリスを探しましたが、見つかりません。
たぶんもう彼岸に旅立っているでしょう。
キリギリスの一生も、短いですから。
その代わり、ショウリョウバッタがたくさんいました。
私は「ショウリョウバッタ」を「ショウミョウバッタ」と間違って記憶しているため、よく間違えるのですが、いずれにしてもこのバッタは、彼岸を感じさせるところがあります。
飛翔する時の羽の音が、私には声明に聞こえてしまうのです。
それにしても今年は異常に多い気がします。
足の踏み場に困るというと大げさですが、それほどたくさん出会います。
私には、そうしたバッタとの出会いも「一期一会」にはしたくなく、家で飼ってみようなどとついつい思ってしまうのですが、これは「所有欲」かもしれません。
自分では決してそうは思っておらず、一緒に暮らしたいとお云う気分の方が合っているのです。
沢蟹や昆虫も、ぜひわが家に棲息してほしいのです。
しかしこれこそが、所有欲、支配欲なのでしょう。
困ったものです。
生物を飼うというのはどういう意味があるのか。
飼う以上は、環境を整え、食事も用意しなければいけません。
飼われた生物はしあわせでしょうか。
微妙な問題です。
私は飼われたくはないのですが、飼われたい人もどうもたくさんいるようです。
しかし、自分が飼われたくないのであれば、飼うべきではないでしょう。
それはわかっているのですが、やはりメダカもキリギリスも沢蟹も飼いたいです。
温度は上がってきましたが、風はさわやかです。
先ほど、山口の知人が、「いま東京に向かっているが、今年の山口は暑いので、避暑に行く気分」とメールしてきました。
今日は私も避暑地の東京に出かけます。
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