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2018年8月

2018/08/31

■節子への挽歌4014:時空間感覚

節子
魔の8月も今日で終わります。
節子が現世で過ごした最後の8月も暑かったですが、今年はその比ではありませんでした。
灼熱の地獄のような暑さでした。
今日も暑い日になりそうです。
しかし、11年前の夏に比べたら、私には天国と言ってもいいくらいです。

それにしてももう11年も会っていないわけです。
そんな感覚はないのですが、この調子だと、あれ、もう100年たつのかということにもなりかねません。
時間は動いているのでしょうか。

昨日また、武田さんと長電話してしまいました。
テーマはなんと「宇宙のビッグバン」。
ニュートン力学と昨今の宇宙物理学とでは、世界はまったく別のものになっていると思いますが、では、たぶん
話していて、空間と時間の感覚が全く違うことに気づきました。
以前から私は、意識の上ではちょっと時空間感覚がほかの人とは違っていましたが、節子が旅立ってからは、それが実感的になってきています。
時空間が一体化し、その捉え方も固定感覚はなく、とても柔軟なのです。
明日の次に今日があるとか、今日が誕生日だとか、我孫子と滋賀とは離れているとか、そう言う感覚が弱まっています。
ですからどうも話がかみ合いません。
困ったものです。

その一方で、私自身、ああもう8月が終わるとか、節子の命日が近づいたとか言っているわけですから、矛盾しているのですが、そうした2つの時空間感覚がある。
生きていくには、まだまだいろんな制約があるのです。
その制約を超えて生きることはまだできていません。
今日は東京国立博物館に縄文展を見に行くのですが、これもまもなく終わるので、どうしても今日行っておかねばいけないと思って、今日は縄文展を優先しました。
なかなか行けずにいたのですが、最後の最後が今日なのです。

しかし、とは言うものの、私の時空間の捉え方は、極めて状況主義的です。
三次元に縛られた、現世の人間界から飛び立った節子の世界は、どういう世界でしょうか。
あの世は、時空間が折り重なった世界だという人もいますが、此岸と彼岸を分けているものはなんなのでしょうか。
それを乗り越えるのは、人間には無理なのでしょうか。
宇宙のビッグバン議論から、少し話が飛んでしまいました。

さて今日は、縄文の世界に触れてきます。
しかし、その場は、自然などなく、人で密集した極めて現代的な時空間なのでしょう。
おかしな話です。

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2018/08/30

■節子への挽歌4013:資産に恵まれた小作人

節子
早稲田大学オープンカレッジで話をさせてもらったことは、昨日の挽歌に書きましたが、話の最後に、現在の自分は「資産家の小作人」だと、改めての自己紹介をさせてもらいました。

韓国の法頂禅師は、「すべてを捨て去る」「無所有」という本で、物を持たないことのしあわせを提唱しています。
記憶がいささかあやふやですが、法頂さんは、所有概念から自由になれば、すべてのものが独立して存在することになり、そういう世界では、「自分の所有物の世界」と「それ以外の世界」の区別がなくなる。
したがって、すべてのものと自由に関われると書いていたような気がします。
俗な言い方をすれば、すべてのものが自分のものとも考えられる。
ですから、所有物やお金がない人ほど、資産家なのです。
人は所有の対象にはなりえませんが、であればこそ、友人知人こそが人生にとっての最大の資産ともいえます。
第1の意味では自宅のある私は不適格者ですが、第2の意味では、私は資産家だと自己認識しています。
資産である人のなかには、節子も入っています。
現世にいないとしても、節子は今なお、私の生を支える大きな支えです。

「小作人」は、言うまでもなく、私の場合、お天道様の小作人です。
今年はがんばって荒地を畑と花壇らしくしましたが、同じように、荒れてきている社会を耕す生き方をしていきたいと思っています。
今生ではちょっと無理そうですが、来世で戻ってきた時には、世界はきっと、今と違って住みやすい社会になっているでしょう。

そんな思いを含めて、「資産家の小作人」とお話したわけです。
話してみて、自分としてはちょっと気にいってしまいました。
ただ、「資産家の小作人」と言ってしまうと、誰か大金持ちに雇われた小作人と誤解されるかもしれません。
そこで、「資産に恵まれた小作人」と言い換えることにしました。
でもまだ少しすっきりしない。
もう少し考えようと思います。

昨日は終わった後、何人かの方々とレストランに行きましたが、生と死を考えている人は、みんな魅力的だなと改めて感じました。
そこには「嘘」や「打算」がないからです。

死は、やはり。人をつなげる要になると改めて確信しました。
人の関係を耕すのも、小作人の仕事です。
小作人には暇はありそうもありません。

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2018/08/29

■節子への挽歌4012:オフィスオープンサロン

節子
早稲田大学オープンカレッジで中下さんがやっている「『人生の最期』を考える」という講座に招待されました。
中下さんから、何を話してもいいと言われたので、「わたしの物語」を話させてもらいました。
副題を「人間の生と死を考えるための話題提供」とさせてもらい、できるだけ間接的に、生と死につながる話題を入れました。
ただあまりに間接的だったので、うまくつながらなかったかもしれません。

物語を語るために、これまでの人生を前もって少しレビューしてみました。
これまでやったことのないことを一つだけやりました。
それは、会社を辞めて、節子と一緒にやったオフィス開きの1週間のサロンの写真を思い出して、アルバムに残っている写真を見たことです。
1週間に100人を超える人たちが来てくれました。
写真を撮っていない人もいますが、8割くらいの方は写真に残っています。
いつかオフィスの壁に貼りだそうと思っていましたが、なぜかやっていません。
もしやっていたら、湯島の雰囲気もまた変わっていたでしょう。

写真を見ても、思い出せない人がだいぶいます。
これはいささかショックでした。
顔と名前を思い出せないような「粗雑な付き合い」は、節子から注意されていましたので、顔と名前は忘れないようにしてきているのです。
たしかに、一度会った人であれば、記憶にしっかりと残さなければ失礼です。
そう思っていますが、思い出せない人が多いのです。

なつかしい人にも久しぶりに会いました。
もう亡くなった方もいます。
付き合いが途絶えた人もいます。
前世の友人の顔もあれば、いまもサロンの常連の30年前の顔もある。
つくづく時の流れを感じます。
写真の片隅に、大きなブーゲンビリアなどの植物も写っています。
いろんな人が大きな花を贈ってくれました。
テーブルの上にはいろんな飲み物もあります。
まだバブルの気配が残っていた時代でもありました。
あの1週間のオープンサロンは、私たちの人生を大きく変えました。
そのことを改めて思い出したのです。

ところで、講座ですが、いろんな人が参加してくれました。
浅間山荘事件の時に鉄砲の弾が飛び交う中で事件解決に取り組んだ機動隊の方、定年後にがんの手術をした方、奥様を亡くされた方、弟さんを10台で看取った方、それぞれに「生と死」を考える事件を体験していることが伝わってきました。
終わった後、何人かの方々とレストランに行きました。

いろんな人に会えて、また元気をもらいました。
私自身の考えも、いろんな人との出会いのおかげで、ここにきてまた変わりだしているような気がします。
中下さんに感謝しなければいけません。

私は過去を振り返るのが苦手なのですが、
時には過去を振り返るのもいいかもしれません。
あの1週間のオープンサロンに、もしかしたら今の生き方の原点があったのかもしれません。
節子には苦労をさせたのだろうと思いますが、節子もまた、人生を変えるきっかけになった1週間だったと思います。

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2018/08/28

■カフェサロン「安心して死を迎えられる生き方のために パート2」の報告

中下大樹さんの「なぜ生きるのか」サロンのパート2は、前回の話を踏まえて、これからの時代に必要な仕組みの話題に併せて、私たち一人ひとりのこれからの生き方を考えることの大切さが話題になりました。

最初に、前回のレビューも含めて、いま何が求められているのかを考える材料を話してもらいました。
その中で、いくつかの問いかけがありました。
抽象的にではなく、自分の問題として考えようという中下さんのメッセージが伝わってきました。
死が消費の対象になってしまい、死から私たちは学ぶことを忘れてしまっていないかという中下さんの問いかけは、具体的な実例をたくさん紹介された上での指摘なので、心に突き刺さりました。
死を消費する社会では、必然的に、生さえも消費の対象にされていきます。
その結果、看護師でさえ、死は面倒なことと考えるようになってしまっていくわけです。
参加者のおひとりが、「死に関して、自分も消費者だったことに気付いた」と発言されました。「消費者意識」は前回の相模原事件のサロンの時にも話題になりましたが、私たちの生き方として、それにどう対処していくかはとても重要なテーマです。

中下さんは、がん闘病中の知人の言葉が心に残っていると話されました。
辛い抗がん剤に耐えつつ、生きようとしているその人は、自らの人生を振り返って「俺は、生きて何がしたいのか」と言ったのだそうです。
その話をしたうえで、中下さんは、「使命」とは「命」を「使」うと書きますが、みなさんは「いのち」をどう使おうとしていますか、と参加者に問いかけました。
私は、即座には応えられませんでした。
自分ではわかっているつもりだったのですが、他者に伝える言葉にはできませんでした。
「生きて何がしたいのか」
難問ですが、考え続けなければいかない気がします。

中下さんは、こういう問いもしました。
笑顔が浮かぶときはどういう時ですか、どんな時に笑顔になるかをできるだけたくさん書きだしてください。
そう言って1分くれました。
私はがんばって書きだしましたが、6つしか書けませんでした。
そもそもそんなことを意識したことがなかったのです。

こんな問いかけもありました。
「家族という言葉に温かみを感じますか」
手をあげた人は半分でした。
家族が生きる救いにならずに、邪魔をすることもあります。
中下さんは、家族や地域や所属組織といった既存の縁に頼るだけではなく、むしろ志を同じくする人たちで新しい縁を育てることが必要ではないかといいます。
その縁で育った仲間が、集い語れる場をつくり、支え合う生き方をしていくと同時に、共同墓をつくり、死後の行先もつくっていく。
共同墓と支え合って生きた仲間がいれば、死後も忘れられることはなく、生きつづけられる。
樹木葬への思いを持った人たちのそうしたコミュニティの話をテレビで観たことがありますが、たしかにみんな笑顔でした。
葬儀もビジネス的なものではなく、仲間で心を込めて行い、それがまた残された者たちの縁を深めていく。
そうした生老病死について包括的に支え合う、ゆるやかなネットワークをつくり、葬儀も供養も、みんなで行っていく。
死を超えて、世代を超えて、つづいていくコミュニティといってもいいでしょう。
これが中下さんの構想です。

死を生から切り離して考えるのではなく、生の集大成として、死を捉え、そこからコミュニティを構築していく。
それを前提にして、葬儀や供養や、看護や介護も考えていく。
中下さんは、こうした構想を実現していくためのプロジェクトを立ち上げる予定です。
また中下さんから呼びかけがあるかと思いますが、私も参加させてもらいたいと思っています。

ところで、このサロンも継続しようと思います。
参加者のおひとりが、これまで死について話し合ったことがない高齢の親と一度話し合ってみると話されました。
そこでもし話し合いができたら、その報告をしてほしいと頼みました。
そういう日常体験も踏まえて、在宅ホスピスやスピリチュアルケアなど、中下さん構想の取り組みの話を軸に置きながら、話題を広げていければと思っています。
どなたか次回はこんなテーマで話し合いたいという方がいたらご連絡ください。

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■節子への挽歌4011:「納骨してホッとしました」

節子
昨日、偶然に会った知人から、「納骨してホッとしました」と声をかけられました。
その人は仕事をしている途中だったので、周りに人がいる状況での短い時間の立ち話だったのですが、とても安堵した表情でした。

その方と会ったのは1か月ほど前です。
まったく別の件で、30分ほどのインタビューをしました。
そこで、その方が2年ほど前に夫を亡くされたことを知りました。
私がまるでそのことをしっているかもしれないという口ぶりでした。
私はその人と会うのは初めてですから、知る由もありません。
それにたぶんその人は誰にもそういう話をするような人には見えませんでした。
もしかしたら、私が何らかのオーラを出していたのかもしれません。

その人は、夫の死を体験した後は、どんなことも気にならなくなったといいました。
あまりの大きなショックを受けると、それ以外のショックは、ショックとさえ感じなくなる。
夫との死別の不幸に比べたら、それ以外のどんなことも不幸なことは感じないというわけです。

そして、その人は「夫に近くにいてほしくて、納骨できないでいる」と話されたのです。
その気持ちは、私も体験していますので、私の体験も話しました。
私が分骨して、時に外出時には身につけていることも話しました。
そして昨日またその人の仕事場に立ち寄る機会があり、そこで話しかけられたのです。

遺骨の一部を自宅に置くことにして、3回忌に納骨したのだそうです。
お墓にも家にも夫はいる。
手元に残した遺骨で、いつも身につけていられるアクセサリーをつくることも考えているそうです。

たぶんその人は私にずっと報告したかったのでしょう。
私の姿を見て、すぐに話しかけてきてくれました。
前回と表情が全く違っていました。
重荷をおろした感じでした。
彼女はきっと伴侶を深く愛していたのでしょう。
その気持ちが伝わってきました。

お会いできてよかったです。

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■スマホをなくすという罪を犯してしまいました

昨日、携帯電話をなくしてしまいました。
落したのは、電車の中か、乗換駅か、です。
ちょっとパニックで、交番に届けたりスマホの会社に電話したり、JRに問いあわせたり、もうそれだけで疲れてしまいました。

最近のスマホは、携帯電話機能だけではなく、そこにさまざまな生活記録が残っているので、問題は自分だけではありません。
私のスマホには私の記録だけではなく、他者の言動の記録や個人情報(電話番号など)が記録されていますから、他者にも迷惑をかけかねないということです。

こう考えると、スマホとは私物であって、私物ではないということに気づかされます。
物としては私物なのでしょうが、それを通して様々な人たちが交流していて、その痕跡が残っていることを考えれば、友人知人との共有物です。
とすれば、スマホをなくすということは、犯罪といってもいいのかもしれません。
そう考えているうちに、罪の意識が強まって、真夜中にまたJRの遺失物センターに電話しました。
残念ながらまだ見つかりませんでした。

近代は個人をバラバラにしたと言われます。
そうして生まれたバラバラの個人(個我)を要素にして、社会を再構築したといってもいいと思いますが、その大きな動きがどうやら次のステップに移り出していることを、スマホをなくしたことで気がつきました。
私のいささか飛躍した展望に基づけば、それを進めているのはAIだと思いますが、もはや私たちは、ひとりの人間として生きることが許されなくなってきているのかもしれません。
バラバラの個人がデータ的に繋がれて、AIが管理する「平安な社会」のモジュール端末になりつつあるわけです。
そこには「個人」は不在です。
人間が部品に変質しているというのが私の認識なのですが、どうも単なる部品ではないようで、部品の材料でしかないのです。
世界観が少し変わりました。
いや、一変したと言えるかもしれません、

こうした流れにどう抗うか。
最近読んだ本に出てきた。ラッセルの「幸福論」の一節を思い出しました。

どう考えようと、わたしたちは大地の子である。わたしたちの生命は大地の生命の一部であり、わたしたちは植物や動物と同じく大地から生きる糧を得ている。

畑で土を耕すとき、いつも、大地と対話しているような幸せを感じます。
私たちがつながるとしたら、AI志向の科学技術に依存することによってではなく、大地とそこに根差して生きている生命同士の心や魂によってでなければいけないと、改めて思います。

スマホをなくしてしまうことは、罪深いことです。
認識を新たにしました。

これから畑に行って、大地とまた話してきます。
そして少し頭を冷やしてきます。
懺悔しながら。

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2018/08/27

■節子への挽歌4010:死後の行先がわかれば死は不安ではなくなる

節子
昨日、中下さんの「生と死を考えるサロン」のパート2でした。
とてもいいサロンでした。
その中で、中下さんが、死後、どこに行ってしまうか、その先が見えないことが死の不安につながっているというような話をしてくれました。
そこで気づいたのですが、私は、死後、自分がどこに行くのが確信できているおかげで、死の不安がないのです。
死んだら、天国でも地獄でも冥界でもなく、ともかく節子のいるところに行けると考えています。
別に証拠があるわけではなく、あるいは信仰があるわけではなく、そう思うのは実に簡単な理由からです。
節子を基準に考えれば、節子のいる世界といない世界がある。
そしていま私が生きている世界は、節子のいない世界。
そうであれば、その節子のいない世界から外に出たら、節子のいる世界に行くことになる。
あまりに単純な発想なので呆れられるかもしれませんが、極めて論理的な発想です。
死は、節子のいる世界への入り口、と考えれば、死は怖くも不安でもないわけです。
もっとも、そこで節子に会えるかどうかはわかりません。
しかし、今の世界で節子に会える可能性はゼロですので、もう一つの世界の方が可能性は高いと言ってもいいでしょう。

もちろん「死後の世界」があるかどうかわからないという人もいるでしょう。
いかし、「ない」と言い切れる人もいないでしょう。
私は、もし「死後の世界」がないのであれば、そもそも「死」は存在しないと思っています。
いまはうまく説明できませんが、私には公理のような気もします。

そんなわけで、私がなぜ、死を不安に思わないかが、今日、中下さんのサロンの話を聞いて納得できました。
まあ大した話ではないような気もしますが、私には大きな発見でした。

死後の世界に行って帰ってきた人の話は世界各地にあるようです。
古代ギリシアのオルフェウスや古事記にあるは有名です。
しかし、いずれも彼らは死後の世界から愛する人を連れ戻そうとして失敗します。
これは私には不思議です。
なぜ連れ戻そうとしたのか。
自分が向こうに行けばいいだけの話です。
彼らは、愛する人よりも、自分を愛していただけの話です。
失敗は最初からわかりきったことです。
私はずっとそう思ってきています。

死後の世界が、たとえどんな世界でも、私はたぶん肯定的に受け入れられるでしょう。
そこに、愛する人がいれば、ですが。
そして、いるに決まっていると、私は、いまは思っています。

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2018/08/26

■4009:不幸と幸福はコインの裏表

節子
長谷川宏さんの「幸福とは何か」という新書を読みだしました。
まだ20ページしか読んでいませんが。
最初に出てきたのが、与謝蕪村の「夜色楼台図」と三好達治の「雪」でした。
「夜色楼台図」は、雪の降り積もった冬の夜の町並みの水墨画。
「雪」は有名な「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ」という二行詩です。
著者は、そこに静かで平穏な暮らしを感じて、それが幸せの一つのあり方だと論じます。
もっとも、その本は、それとは違うもう一つの「幸福」の話を展開しているようですが、この10ページほど読んだところで、いろいろと考えてしまいました。
私が望んでいたのも、こういう幸せだったのではないか。
しかし今はその反対の幸せ感になっていることに気づかされて、自分ながらに驚いてしまったのです。

人生には嫌なこともあればうれしいこともある。
むしろトラブルや悲しさがあって、幸せがある。
不幸と幸福はコインの裏表。
そんなことを、この挽歌でも書いた気がします。
そのどこかに「強がり」もあるのですが、太郎次郎の幸せを望みようもない今、いろんなことに悲しみ喜び怒り、時に胃を痛くする生き方を素直に受け入れる生き方が身についてきました。
節子がいたら、それはできなかったかもしれません。
幸せの基準もまた全く違っていたはずです。

今の私は「幸せ」なのかどうか。
こう考えていくと、「幸せ」という概念が、いかに曖昧なものであるかがわかります。
すべての言語の意味を一度、それこそ脱構築していくことが必要なのかもしれません。
つまり、すべての価値言語は、結局は同じことを違った視点から言っているだけの話です。
その次元から抜け出れば、世界は全く違って見えてくるでしょう。

彼岸と此岸も、もしかしたら同じものかもしれません。
その次元から飛び出した時、どんな世界がそこにあるのか。
死もまた、楽しみな話です。

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2018/08/25

■節子への挽歌4008:お世話になる部屋だから

節子
昨日、とてもうれしいことがありました。
予想もしていなかった友人が、湯島のエアコンを購入しましょうとメールをくれました。

前からずっと気になっていることが、1つあります。 エアコンの調子が悪いって言ってたでしょ? みんなが集って真剣に議論する場ですから、頭を冷やすためにも先ずは環境を整備しなくては。 私ね、エアコンを取り替えたい。お世話になる部屋だから。 9月16日以降に、近いから、秋葉原へ行こうと考えています。

節子が、湯島で最後に取り組んでくれたのが、改装とエアコンの買い換えでした。
途中で湯島に行けなくなり、改装は途中でストップ、エアコンは購入したものの取り付けの時には行けなかったので、ちょっとおかしなところにつけられてしまいました。
いずれもあえてそのままにしています。
しかし、最近、いろんなものが壊れだしています。
先週も椅子が壊れてしまいました。
その矢先のメールです。

湯島はみんなに支えられてきています。
維持のためにはそれでも月に10数万円かかりますが、いろんな人の支援で賄われていて、私はあまり負担していません。
毎月かなりの金額を振り込んでくれている人もいます。
もちろん湯島の維持というわけでもなく、私の生き方への支援というような意味も込めて、自分の会社の顧問という名目にして、私の会社に振り込んでくれるのです。
「顧問」である以上、何もしないわけにもいかず、少しはその人の会社に役立つ活動をしていますが、最初の頃は私への具体的な期待をいわれたことはありません。
会社の利益が思ったより多かったので、数十万円寄付してくれた人もいます。
ワンコインサロンなのに、1万円入れていく人もいます。
それで基本的な部屋の維持はできています。
ありがたいことです。
だからお金もないのに、いまもなお、湯島でサロン活動を続けていられるのです。

ただ、30年もたつと、照明器具とか椅子とかも壊れだしてきました。
設備を替えようとするとそれなりの費用がかかりますから、まあ何とか使い込んでいますが、さすがにそろそろ限界だなと思うものも出てきました。
しかし、うっかりそんなことを口に出すと誰かがまた寄付を申し出てしまうかもしれません。
ですから逆に注意しないといけません。

そんな時の、このメール。
しかし、今回は好意に甘んじることにしました。
メールにこう返信したのです。

エアコンは直りました。 それでエアコンはいいから椅子はどうでしょう。

エアコンよりもかなり高くなりそうなので、いささかの躊躇はありましたが、まあ不足分はどうにかなるでしょう。
それがいつもの私の発想法ですから。

返信が来ました。

喜んで下さって、とっても、とても嬉しいです。 それじゃあ椅子にしましょうか。

「嬉しい」と言ってもらえることは、こちらこそ「とっても、とても嬉しいです」と返信したかったのですが、やめました。
でもなんとなく「トポラッチ」気分を味わいました。
問題は、この人に次は何を返せるかです。
いや。この人にではなくてもいいかもしれません。
永六輔も「誰かにそうしてもらったように、誰かにそうしてあげよう」と「生きているということは」という歌で、そう言っています。
https://www.youtube.com/watch?v=Gt8posdmTaM

そんなわけで湯島の椅子はまもなく一新されるかもしれません。
しかしやはり迷いはあります。
椅子を変えたら湯島の雰囲気は変わってしまうかもしれませんから。
でもまあ、湯島は「みんな場」にしたいので、それもまたいいでしょう。
それにいつかは私もいなくなるわけですから。

お布施をしてもらって喜んでもらえる。
なんとまあ「幸せ」なことでしょう。
もっともっと、喜んでお布施したくなる存在になりたいと思います。

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2018/08/24

■節子への挽歌4007:ソクラテスの気分

節子
昨日は柴崎さんと3時間話しあいました。
節子が知っているころの柴崎さんとあまり変わっていませんが、ますます社会からは離脱してきています。
一時はかなり心配させられる状況でしたが、昨日はだいぶタフになっていた気がします。

マルクス、フーコー、ブルドュー、ラカン、イリイチ、アルチュセール、ポランニー、フレイル…と次々と話題になりますので、ついていくのが大変です。
その一方で、国つ神や地母神、さらにはシンギュラリティと遺伝子工学、そして最後は例にスタップ細胞。
3時間があっという間でした。
彼のような知性がどうして活かされないのか。
その一方で、内容のない知が世間でちやほやされる現状にはいささか辟易しています。
アテネ時代のソクラテスの気分がわかります。
毒杯を飲んだことにはあまり共感できませんが。

その後、ドラッカーと音楽と酒を楽しむカフェが湯島でありました。
ドラッカーをテーマに経営コンサルティングに取り組んでいる村瀬さんが提案してきた集まりで、彼の主催です。
ドラッカーも酒も好きではない私が参加するのはどうしたものかと思ったりしましたが、村瀬さんの主催で場所も湯島となれば出ないわけにはいきません。
私は隅っこで話を聞きながら、酒がダメなのでコーヒーでも飲んでいようと思っていたのですが、
なぜか最初に村瀬さんが私にふってきたので、なにやら長い自己紹介をしてしまいました。
ついでにドラッカーへの批判もちょっとしてしまいました。
いつもながら場を読まない困った話です。

その後、参加者の自己紹介がありましたが、私が知っていたのは2人だけで、ほかの方は全員初対面。
いろんな立場の、しかもかなり明確な問題意識を持った人たちが多く、それぞれの話が魅力的だったので、その後の話にもついつい参加してしまいました。
私の関心領域につながるところで活動している人も多く、いささか余計な発言をしてしまったのが、いつもながら反省点です。
節子がいたらたしなめられたでしょう。

ほとんどの人が湯島は初めてでしたが、どうもこうしたサロンも初めてだったようです。
私にとっては極めて日常なのですが、どうも社会にはこういう「無駄な場」は少ないようです。
山浦さんが評価してくれているのが少しわかってきました。
サロンはつづけていこうと思います。
ソクラテスのように、死刑になることはないでしょう。

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2018/08/23

■節子への挽歌4006:いい汗

節子
この3日間、畑通いをしました。
今朝も朝食前に畑に行って、耕してきました。
帰宅してシャワーを浴びたのですが、汗が止まりません。

先日の雨風で、キュウリはほぼ全滅しましたが、道沿いの花壇は花が満開です。
といっても結局、百日草とマリーゴールドが中心で、乱雑に種をまいたので、花壇というよりもただ花が密集しているだけの話です。
しかし、時々、道から花を見ていてくれる人に出合います。
それだけで十分に報われる気がします。
5種類以上の種をまいたのですが、この2つにひまわりを加えた3種類が開花しました。
これから花が咲くものもいくつかありますが、さらにまわりの野草を整理し、面積を広げようと思います。
節子はここをロックガーデン風にしようと、石やレンガなどを置いていましたが、開墾中にそうしたものが出てきて、むしろ大変でした。
その名残のバラは一本まだ残っています。

畑も第一期の野菜の犠牲に上に、畑らしくなってきましたが、なにしろ篠笹がすごい繁殖力なので、いまもまだそれとの闘いがつづいています。
この戦いも、節子と一緒だったら、それなりに楽しいのでしょうが、独りだとついついめげてしまい、なかなか前に進みません。
それでもこの3日間で、2つの畑をつくりだし。人参と蕪を蒔きました。
今朝はもう一面、耕してきましたが、ここにはタマネギを、そしてさらに大根用の一面をつく予定です。
これでわが農園の真中は畑らしくなるでしょう。
周辺の一部は、紫色のシランが戻ってきました。
だいぶ先が見えてきました。

畑に取り組んでから、時間の大切さを改めて感じています。
植物の成長には、それぞれ時間がかかりますし、しかも季節にも従いますから、畑づくりも時間をかけて進めていかないといけないのです。
工業生産は時間を管理できますが、農園栽培は時間に管理されるわけです。
それを良しとするか、それから解放されるか。
今の私は、もちろんそれを良しとし、それに従い、そこから教えられています。
時計の時間は嫌いですが、そうした自然の、あるいは生命の時間には素直に従えます。

今朝も畑仕事をしていたら、道を散歩している人から声をかけられました。
名前も知りませんが、相手から声をかけてくれる人も現れました。
その方は、毎朝、母親の散歩に付き合っているようです。
散歩している人たちのそれぞれに物語がある。
そして、そこにそれぞれの時間がある。

野菜の出来はあまり良くなく、今日も収穫はありませんでしたが、朝の労働のお礼にミニトマトを一つもいで食べました。
たった一つのミニトマトでも、大きな元気をくれます。
さて今日もまた、いささか難しい課題があるのですが、いい1日になるでしょう。
いい汗をたくさんかきましたから。

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2018/08/22

■節子への挽歌4005:死の中にある生

節子
この10日ほどのうちに、死に関わるケアに関する本を3冊読みました。
1冊は昨日書いた「死すべき定め」ですが、ほかの2冊は「「在宅ホスピス」という仕組み」(山崎章郎)とかなり古い本ですが、「ケアの思想と対人関係」(村田久行)です。
その前にも、「人は「死後の世界」をどう考えてきたか」(中村圭志〉なども読んでいますので、死にまつわり本を何冊か読んできました。
湯島のサロンでも、死を要にしたコミュニティの話や相模原事件に関連しての「いのち」の話をしていますので、この夏はいろいろと生と死を考える機会がありました。
「ケアの思想と対人関係」は、改めてスピリチュアルケアについて考えたくなって読んだのですが、20年ほど前の本なのに、日本の医療界や福祉の世界はあまり変わっていないような気がしました。
しかしそれ以上に私にとってショックだったのは、私自身がキュアからケアへの切り替えができていなかったことに気づかされたことです。
頭ではわかっていて、コムケア活動を始めた時の最終選考会での冒頭のスピーチでは、そういう話を話していたのに、自分自身がまだキュア思想を引きずっていたのです。
節子に対しても、もしかしたらまだ「キュア」発想に引きずられていたかもしれません。
最後の最後まで、節子は治ると確信していたのも、そのせいかもしれません。
私には、死という概念がまったくなかったのです。
節子はどう感じていたでしょうか。

しかしはっきりといえることは、そういう私に、節子はすべてを任せていたということです。
私がどうにかしてくれると思っていたような気もします。
たとえ、それが死につながろうとも。
あの時の私たちにとっては死もまた生の一部だったのかもしれません。
そんな気が最近しています。

明日からミンデルの「シャーマンズボディ」を読もうと思います。
8月は、彼岸との交流の季節ですので。

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2018/08/21

■節子への挽歌4004:「死すべき定め」

節子
佐久間庸和さんが本を薦めてくれました。
アメリカの現役医師が自らの父親の体験を軸に、終末医療のあり方を描いたノンフィクション作品『死すべき定め』です。
「感動とともに人生観を変える、全米で90万部突破のロングセラー」と紹介されています。
本の内容に関しては、佐久間さん(一条真也さん)のブログに詳しく紹介されています。
http://d.hatena.ne.jp/shins2m+new/20180810/p1

生々しい体験記なので、時に読み進めることが難しくなったりして、かなりのエネルギーが必要でしたが、読み終えました。
私の体験とも重なるところも少なくありません。
気付かされることも少なくありませんでしたし、私の気持ちを代弁してくれているようなところもありました。

ただ本書の基軸になっているのは老いて死ぬ定めの話で、老いずに死ぬ話とはやはり違います。
本書にも若くして死を迎える事例はいくつか出てきますが、それはサブストーリーです。

本書でも語られていますが、しばらく前までは「老いる前に死ぬ」のが自然でした。
ですから、この数十年で、「死すべき定め」の意味合いが大きく変わってしまっているのです。
そのために、死を取り巻く環境が、キュア(治療)からケア(気遣い)へと移行しだしているのです。

もう一つ感じたのは、やはり、親と伴侶は違うのだなということです。
私も同居していた両親を見送り、伴侶も見送りましたが、いずれも同じ死別体験ですが、私には異質なものに思えます。

とはいうものの、本書で語られていることは、あまりに私の体験に通じすぎていて、反省させられたことも少なくありません。

心に残るメッセージもいくつかありました。
たとえば、「死を無意味なものにしない唯一の方法は、自分自身を家族や近隣、社会など、なにか大きなものの一部だとみなすことだ。そうしなければ、死すべき定めは恐怖でしかない。しかし、そうみなせば、恐れることはない」という文章がありました。
まったく同感ですが、ただやや「客観的」な表現が気になりました。
これは「自分の死」のことを語っているわけですが、はたして死に直面した当の父親はどうだったでしょうか。

「死すべき定めとの闘いは、自分の人生の一貫性を守る闘いである。過去の自分や将来なりたい自分から切り離されてしまうほど自分が矯小化や無力化、奴隷化されてしまうことを避けようとすることである」。
これもちょっと観察者的で、あまり共感はできません。
そもそも「死すべき定めとの闘い」などというのは存在するのか。
たしかに節子は癌を宣告され、また再発した時には、闘う姿勢はありました。
しかし、そばにいた私に感じたのは、その姿勢は次第にもっとおだやかなものになっていったような気がします。
つまり、今を大事に生きることで、それこそ精一杯だった気がします。
今日も良い日だった。明日も同じように良い日でありますように、というのが、節子の寝る前の言葉でした。
死への恐怖も怒りも、私には感じませんでした。
怒りや恐怖を持っていたのは、私でした。
そのために、節子の平安を乱したこともあったはずです。
うまく説明できませんが、やはり当事者と観察者とは違います。
節子と私との受け止め方ももちろん違います。

本書にはまた、「死にゆく者の役割」を臨終で果たす重要性にも触れています。
ある調査報告によれば、この役割は死にゆく人にとっても残される人にとっても人生を通じてもっとも重要なことだそうです。
これに関してはもう少し踏み込んでほしかったですが、著者は、この役割を否定してしまうことは恥辱を永遠に残すことにもつながる、としか書いてくれていません。
そこがちょっと残念でした。
しかし、「死にゆく者の役割」というのは、私がずっとなんとなく感じていたことでもあります。
これに関しては、私ももう少し考えようと改めて思いました。

物足りないことばかりを書いてしまったのですが、基本的には本書のメッセージはとても心に響くものが多いです。
老いて死ぬものだけではなく、すべての死ぬ者(つまりすべての人間)にとって、大きな安心を与えてくれるかもしれません。
死への不安があるようであれば、あるいはいま近くに死を感ずることがあるのであれば、本書はとても大きな力をくれるはずです。

もっとも私自身は、死への不安はほとんどありません。
節子が通って行った道であれば、それを通るのは当然のことだからです。
それに節子と違って、私の伴侶は、その先にいるのですから。

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2018/08/20

■節子への挽歌4003:疲労感がつづいています

節子
寝坊してしまいました。
最近暑さもあって疲労が蓄積されているようです。
昨日は畑に行けなかったので、畑に行かなくてはいけないのですが、元気が出ません。
困ったものです。

時評編に書きましたが、昨日は2年前に起こった相模原障害者殺傷事件をテーマにしたサロンのアフターサロンでした。
日曜の午前中にもかかわらず6人が参加しました。
日本自閉症協会の副会長でもある今井さんが、前回同様、参加して下さり、示唆に富むお話をしてくれました。
今井さんとは、多分もう20年ほど前、企業の経営幹部の研究会でお会いして以来のお付き合いです。
その研究会での私の役割はアドバイザーだったのですが、私が言い続けていたのは、経営の基本はしっかりした自らの生活に取り組むことだということでした。
表層的な経営技法や抽象的な経営理論をみずからのものにするためには、自分軸、それも生活を基本にした価値軸をもたないとお金に隷属しかねないということを話してきました。
今井さんは、大企業の経営幹部でしたが、その後、福祉の活動に生活軸を移されて、しばらくは交流が途絶えていましたが、昨年、お会いして以来、時々、湯島に来てくださいます。
昨日のお話もとても示唆に富むものでした。
しかし、考えることも多くて、かなり疲れました。

午後は、個人と組織の関係を考える研究会でした。
企業での働きがいをテーマにしていますが、今回は大学教授の斎藤さんが、日本の過去の企業の事情を話題にしてくれました。
私は1964年から1989年まで、企業で過ごしましたが、まさにその25年は、会社と社員の関係が大きく変わる時期でもありました。
膾炙には行った頃の会社の状況を思い出しました。
そしてそこで出会った節子が、いかに私の人生に大きな影響を与えたかも改めて思い出しました。
それもあって、この研究会もかなり疲れました。

というわけで昨日は疲れ切って、9時には寝てしまいましたが、そしてその上に寝坊してしまいましたが、なぜかまだ疲れています。
今日はゆっくりと休もうと思いますが、先週もずっと休んでいた気もします。
そろそろ生命のエネルギーが枯渇してきたのでしょうか。
困ったものです。

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2018/08/19

■節子への挽歌4002:人間の時代は終わった

節子
先週は在宅時間が長かったのですが、それで5本の古い映画をテレビで観てしまいました。
「ブレードランナー」の2作品と「プロメテウス」の2作品、それに「ソラリス」です。
「ブレードランナー2049」は今回初めて観ました。
こうした作品をまとめてみると生命の捉え方が変わってしまいます。
「ソラリス」を除いた4作品には、人造人間(レプリカントやサイボーグ)が登場しますし、ソラリス」には、人とは別個の「知性」がその人の「愛」と「記憶」を材料に物質化した人間もどきが登場します。

今回最後に観た「ブレードランナー2049」のラストシーンが衝撃的でした。
今のイメージに重なっていて、なにやら救われたような気分になったのです。。
実は最近、なぜかちょっとそんな気分になって来ていたので、この5作品をまとめてみてしまったわけですが。
「そんな気分」というのは、説明が難しいのですが、これまで時評編では何回か書いてきていますが、ホモサピエンス、つまり、今の人間の時代は終わったという気分です。
レプリカントやサイボーグが、新しい人類になっていく。
つまり今以上に「生死」を自由に扱えるようになるでしょうし、永遠の生命も蘇る生命も現実のものになるでしょう。
そうなれば、「死」さえも体験可能なものになるでしょう。
もちろん彼岸も体験可能な世界になるでしょう。
生の躍動と並んで、死の躍動が現実のものになるかもしれません。
いや、そもそも「生死」という概念がなくなるだろうと思います。

5本の映画を立て続けに観たために、ちょっと思考がおかしくなっているのかもしれませんが、死生観がちょっと変わった気がします。
節子との距離がまた少し近づいたような気もします。

もちろんそれがそのまま今の私の現実にはなりません。
今の私は、蘇ることもできず、死の体験もできません。
節子を抱きしめることもできません。
でも否持続可能ところにいるという感覚はちょっとまた強まりました。
さらに言えば、それはもしかしたら「節子」ではないのです。
もっと普遍的な存在。

「ソラリス」は他の4作品とは違いますが、旧作も含めて、また原作の小説も含めて私の好きな作品です。
ほかの4作品は、レプリカントやサイボーグが「ヒューマノイド型」であるところに違和感はありますが、むしろそのおかげでリアリティを感じます。
しかもその底流に流れているのは、人間特有の「愛」です。
目の前に、愛する人が現われたらどうするか。

いずれの作品の主人公も、「愛」よりも「人類」を優先します。
私はまだそこまで不変化できていません。
しかしちょっとだけ、普遍的な「愛」に近づいたような気もします。

今朝の空は、雲一つありません。
空の青さの奥にこそ、彼岸はある。
学生の頃はずっとそう思っていました。

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2018/08/18

■節子への挽歌4001:あっという間の4000日

節子
挽歌もとうとう4000回を超えました。
節子が逝ってから4000日目ということです。
それが長いのか短いのか、複雑な思いですが、実際にはまだ「あの日」の続きの中で生きている気がします。
たしかに、気持ちも整理され、節子の不在が日常になり、精神的混乱もほぼなくなり、論理的な思考力も戻ってきてはいますが、だからといって、新しい人生が始まったという気はありません。
困ったものですが、もしかしたら1日目と同じところでまだ止まっているのかもしれません。
できることなら、1日前に戻りたいという未練がましさから解放されることはありません。

伴侶を得ることが人生を変えることであれば、伴侶を失うこともまた人生を変えることのはずですが、正確には前者は「人生を得る」ことであり後者は「人生を失う」ことのような気がします。
人生を失ってもなお生きていることの、哀しさや辛さが、そこにはあります。

しかし、その一方で、節子のいない生活が日常化したということは、裏返せば、「不在の節子」がいるということでもあります。
「節子の不在」に慣れてしまったわけです。
いつか伴侶のいずれかが先に逝くことは、多くの場合、避けられません。
別れの期間が長いか短いかは人によって違います。
伴侶との関係もいろいろあるでしょうが、私の場合は、どうもあまりに依存関係が強かったために、その不在に耐えるには、来世を信じざるを得ないのです。

しかし、4000日も経ってしまいました。
もっとも仏教的な時間感覚から言えば、4000日などは、あっという間の瞬間でしかありません。
たしかに、私の今の実感でも、4000日は「あっという間の一瞬」でした。
その間にいろんなことがあったのでしょうが、なぜか「現実感」があまりない。
すべてが縁起によっておこった空の世界という実感があるのです。

もしかしたら、仏教とは、愛する人を失った人の、止まっている人生のもとにつくられた思想体系かも知れないと、ふと感じました。
お釈迦様は、きっとみんなにすごく愛されていたのでしょう。
提婆達多も、きっと「シッタルダの不在」に耐えられなかったのかもしれません。

さて今日から、4000日を超えた人生が始まります。
実にさわやかな朝です。

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2018/08/17

■節子への挽歌4000:怪談話

節子
昨夜起こった怪談話です。
もしかしたら節子のいたずらでしょうか。

挽歌を書いている時、窓の外でカナブンが騒がしく、時々、窓ガラスにぶつかっていました。
窓はあいていますが、網戸なので、中には入れないのです。
まあこういうことは慣れているので、気にせずに挽歌を書きあげて、ついでに時評編も書いてアップしました。
ところが、アップし終わった時に、突然、室内でカナブンが飛び回りだしたのです。
網戸はしっかり閉まっているので、部屋に入れるはずがありません。

不思議に思って、その正体を見分けようとしたのですが、なぜか見つけようとしたら、そのカナブンがいなくなってしまったのです。
正確に言えば、カナブンの飛び回る音と気配だけで、実物は見ていないのです。
ちょうど部屋の外の廊下を誰かが歩く気配を感じました。
娘だろうと思って、声をかけましたが、返事がありません。
出てみるとだれもいません。
娘は部屋にいて、出てこなかったと言います。
カナブンは相変わらず姿を見せません。
キツネにだまされた感じです。
もしかしたらと思い、窓の外をのぞきました。
なんと網戸の外側に、カナブンがとまっているのです。
ますます不思議な気分になりました。

もしかしたら、節子のいたずらかも知れないと思いました。
お盆の最中、せっかくの帰宅にもかかわらず、あまり相手をしなかったのをすねているのかもしれません。
まあ節子は、そういう人ではなかったのですが、彼岸での暮らしで、性格が悪くなったのでしょうか。
そんなはずはありません。
だとしたら、私の幻覚。
そろそろ私の頭も狂いだしたのかもしれません。
困ったものだと思っていたら、その後、階下に降りてあがってきた娘が、カナブンは階段の踊り場にいるというのです。
まあもう寝ていたので、見には行きませんでしたが、今朝起きて見に行ったら、もうそこにはいませんでした。
部屋の窓の外のカナブンももちろんもういません。

まあそれだけの話なのですが、お盆の最後の日にはうってつけの話でした。

今朝はすがすがしい朝です。
空も風も、もう秋になっています。
畑に行く予定だったのですが、朝からちょっとまた視界異常で、休むことにしました。
血圧はかなり改善されてきているのですが、やはり脳外科に行くのがいいかもしれません。
さわやかな空を見ながら、ちょっと憂鬱な朝です。

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2018/08/16

■お金を払ってボランティアをする

山口県周防大島町の山中で行方不明になっていた2歳の子供が、捜索のボランティアに来ていた大分県日出町の尾畠春夫さんによって、発見されました。
尾畠春夫さんの話を聞いていて、実にさわやかなものを感じました。
尾畠さんのこれまでの生き方やボランティアの捉え方は、これからいろんなところで採りあげられるでしょうが、「ボランティア」という言葉を使う人は、ぜひ尾畠さんの生き方を学んでほしいと思います。
尾畠さんの仕事は、いわゆる「恩送り」。
金銭的な面でいえば、尾畠さんは「お金を払って」ボランティアしているのです。
無償とか有償とか、そんな話とは次元が違います。

先日読んだ「ティール組織」という本に、こんな文章がありました。

「(これからは)お金を払ってボランティアをするケースもあり得る。人々が時間外にさまざまな多くの部署や組織で活躍するようになると、組織の境界も曖昧になる。」

とても共感できる表現です。
私は、30年前に会社を辞めた時に、仕事の概念を「対価を得ること」ではなく「費用がかかること」と捉え直しました。
その代わりに、仕事は自分で価値を見いだせるものに限ろうと考えました。
実際には、必ずしも厳守できませんでしたが、基本的な姿勢だけはそれを目指してきました。
私が考える「働き方改革」とは、そういうものです。

もちろん、仕事をしたおかげで、お金をもらったことは多いです。
その場合は、もちろん素直にいただきました。
また自分にお金がない時には、お金を出してくれる人を探しました。
ですから30年も、この生き方ができているわけです。
しかし、仕事の対価は、金銭ではないという考えは大事にしています。

対価のための仕事よりも、自発的に取り組む仕事の方が、価値を生み出すことが多く、関係者にとってはいい結果を生みだすような気もします。
もちろん仕事をする者にとっても、それは働く喜びにつながります。
価値が生まれれば、その享受者からは、喜びのお礼の一部として、お金も払いたくなるでしょう。
そういう関係が育っていけば、経済の質が変わっていくでしょう。
社会も変わるでしょう。

尾畠さんの生き方から学ぶことはたくさんあります。
これからでも遅くないので、私もまた少し生き方を見直そうと思います。
尾畠さんに感謝します。

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■節子への挽歌3999:馬を食べてしまいました

節子
今日はもう「送り火」です。
夕方、ユカと一緒にお墓に節子を送っていきました。
わが家のお墓には私の両親も入っていますが、お盆の時には両親は兄の家に戻り、節子はわが家に戻ってくるというわけで、いささか言葉遣いはおかしいですが、節子はいわば里帰りというわけです。

お墓はにぎわっていました。
お線香立に、一本の線香が残されていました。
多分これは節子の友人のHさんがあげてくれたものでしょう。
Hさんの伴侶のお墓が、すぐ近くなのですが、いつもお墓参りに来ると、節子のお墓にも挨拶に来てくれているようです。

今年は何かちょっとさびしいお盆でした。
お墓から戻って、今度は畑に行きましたが、どうもあんまり元気が出ずに、早々に戻ってきました。
昨日の台風で、キュウリの枝が折れてしまっていて、見るも無残でしたが、直す気力が出ませんでした。
節子が帰ったせいでしょうか。何かとてもさびしいです。
いる時には何も感じなかったのですが。

お役を果たしてくれた精霊棚のキュウリの馬とナスの牛をどうしようかと思ったのですが、食べてしまうことにしました。
残念ながらナスの牛はどうも食べるのは無理でしたが、キュウリは一部を除いては食べることができました。
というわけで、夕食にキュウリの馬肉を食べることにしました。
節子を迎えに行ってくれたことを感謝しながら。


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2018/08/15

■節子への挽歌3998:年1回のスイカ

節子
昨日、今年初めてスイカを食べました。
スイカは大好きなのですが、私は毎年1回しか食べられません。
というのも、私にとってはスイカは丸くないとだめなのです。
最近はカットされたスイカが売っていて、娘はそういうのを買ってきますが、節子は知っているように、私はそういうものは「スイカ」と認めません。
せっかくなので、食べてはしまいますが。

丸いスイカを買ってきてほしいとユカに頼んでいますが、どうせ食べられないからといって、買ってもらえません。
それでお盆だけはみんなが来るし、節子にも供えないといけない。
それに、孫にスイカは丸いのだと教えないといけないと説得して、毎年、丸いスイカを買うようにしています。
これが私の夏のメインイベントなのです。
極めて地味ですが、節子がいなくなってからの暮らしはそんなものです。

にこも話せるようになったので、今年は「おおきい!」と感動してくれました。
そして、「おさむが買ったの」と質問までしました。

持ち上げようとしても持ち上げられません。
スイカは何色かと訊いたら、「みどり」と答えました。
その目の前でスイカを真っ二つに割ったら、まっかでした。

そして半分にしたスイカにかぶりついてくれました。
これはストップがかかりましたが、それを何等分かして、みんなで食べました。
スイカはスプーンで食べるのは邪道で、やはり半円に切ってかぶりついて食べるのがいいです。
ジュンがサイコロ状に切ったりしていましたが、にこはそれには目をくれずに、半円のスイカを持ってガブッと食いつきました。
サイコロ状にしたら、スイカではなくなります。
娘たちの育て方が悪かったようです。
困ったものです。

丸くて緑で、でも中身は真っ赤。
赤いところはあまいけれど、緑の部分は硬くておいしくない。
にこは、皮をかじって、それを学んでくれました。

しかし、スイカはみんなで食べても、やはり半分以上が残りました。
私が子どもの頃は何切れも食べられましたが、いまはがんばっても2切れです。
でもまあ、丸いスイカが食べられて満足です。
またこれから1年、スイカは食べる機会はないでしょう。
スイカもどきは、きっと食べられるでしょうが。

というわけで、私に夏は終わりました。
明日からは、暑い秋です。

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2018/08/14

■節子への挽歌3997:丸いスイカを買ってきてくれませんか

節子
昨日はせっかくの帰宅にもかかわらず、めずらしく私が夜遅くなってしまいました。
昼には孫も来ていたようですが、今日もまた家族みんなで来るそうです。
私は朝、畑に行って、予定通り、畑の百日草を切ってきました。
それを節子に供えました。

今年は節子を送ってから11回目のお盆です。
まあだからといって、いや、だからこそ、とりわけ何かがあるお盆でもありません。
まあ例年と違うのは、手づくりの馬と牛ですが、馬はもう役割を終わったので、食べてしまおうと思ったのですが、精霊棚から馬がいなくなるとさびしいので、そのままにしておくことにしました。
お供えの果物は暑さのためか、桃がいささか傷みだしてきました。
これは食べてしまうことにしますが、代わりに何かをあげようと思っていたら、福岡の加野さんから蜂蜜が届きました。
それでそれをお供えしてしまいました。
畑から新鮮な野菜を収穫してこようと思っていましたが、畑の野菜は今朝は収穫がありませんでした。
ミニトマトは雨のせいかひび割れが多く、きゅうりは遅植えだったせいか実がなりません。
まあ今年は収穫は余り考えずに、ともかく荒地の開墾が目標でしたので、仕方がありません。

今年はまだスイカを食べたことがありません。
正確には、丸いスイカの意味です。
カットされたスイカは食べましたが、スイカは丸くないといけません。
家族が少なくなったこともあり、最近はスイカを食べる機会がありません。

今日は丸いスイカを買ってきて、節子と一緒に、みんなで食べることにしようと思います。
でもまあ、買いに行くのもなんだか面倒です。
以前なら、節子に買って来てと頼めたのですが、帰ってきている節子に頼んでもダメでしょうね。
まったく役に立たない節子です。
困ったものです。
ほんとに。

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■カフェサロン「自民党政権政治を変えていくためには」のお誘い

1955年に自由党と日本民主党が合併して自由民主党が発足して以来、もう70年近くになろうとしていますが、その間、形だけの政権交代はあったものの、基本的には日本の政治の流れは、自由民主党が決めてきたといってもいいと思います。
しかも、その自由民主党政権は、いわばアメリカ政府とのつながりが強く、その桎梏から抜け出ようとする試みはことごとくつぶされてきています。

こうした状況の中で、政治へも国民の関心は低下し、憲法違反とさえ言われることを繰り返す安倍政権が、安定政権として、ますます力を強めています。
しかもそれを多くの国民は歓迎するかのように、支持したり、形だけの批判をしたり、さらには自らのよりどころにしたりしています。
安倍政権はひどいという声は多いですが、安倍政権を存続させている自分たちはひどいという反省の声はあまり聞くことはなく、ただただ「安倍政権打倒」などというヘイトスピーチのような呪文が唱えられているだけです。

そんな状況になかで、リンカーンクラブ代表の武田文彦さんから、改めて「自民党政権のどこが悪いのか」、そして、「どうしたらそれを変えていけるのか」を話し合いたいという提案がありました。
最初に武田さんから、試案を紹介していただき、それを材料に、政治の流れを変えるための知恵をみんなで出し合うサロンにしたいと思っています。
単に非難で終わるのではなく、具体的にどこが悪いのかを整理し、それを変えていくための具体策を出し合えればと思います。
考えようによっては、安倍政権や自民党政権の延命策にもなりうるわけですが、そういう小異にはこだわらず、もっと大きな視点で、これからの日本の政治を考えられればと思います。
なお、サロン終了後、2000円の会費で、近くで懇親会を開催する予定です。
お時間の許す方は、ぜひご参加ください。

○日時:2018年9月8日(土曜日)午後2~4時半
終了後、希望者で居酒屋懇親会(会費:2000円)
○場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
○テーマ:「自民党政権政治を変えていくためには」
○会費:500円
○申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

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2018/08/13

■節子への挽歌3996:お盆の入り

節子
今日はお盆の入り。迎え火の日です。
わが家では直接お墓に先導の火を持って行って一緒に帰宅しますので、迎え火はたきません。
先導の火も、むかしは提灯に入れて消えないようにして自宅まで持ってきていましたが、最近はお墓がちょっと遠くなったので、自動車で迎えに行きます。
先導の火は、ロウソクですが、入れるのは提灯ではなく赤いランプ入れです。
基本的なルールには従いますが、どこかにちょっとわが家らしい工夫をするのは、節子時代からのやりかたです。
もっとも最初の頃は、節子はそうした「あそび」はあまり好きではなかったのですが、なぜかある時から、むしろ主導するようになりました。
節子はとても生真面目なタイプだったのですが、私と一緒に暮らすようになってから、多分本当の自分に戻り、別の意味でのまじめさを取り戻したように思います。
節子の若いころの日記を読んだことがありますが、「まじめ」すぎるほどまじめな考え方をしています。
私と出会って、さぞかし頭が混乱したと思いますが、いつの頃か節子の方が赤心を発揮するようになりました。
言葉を通してではないですが、節子から学んだことはたぶんたくさんあるのでしょう。
だから今でも私は節子から離れられないでいるのかもしれません。
節子と一緒だと、いつも完全に自らを開くことができ、それがいつの間にか私の生き方になったのですから。

今日も朝から蝉がにぎやかです。
昨日載せたきゅうりと茄子の馬と牛の写真の前に、蝉の抜け殻を置きました。
わが家の庭にあったものですが、蝉に先導してもらうようにしたのです。
蝉は、復活や変身の象徴ですが、私は昔から、水分の全く感じられない蝉に生命をあまり感じませんでした。
とても不思議な存在でした。
もしかしたら、蝉は彼岸と此岸を往来しているのかもしれません。

今日は、普通の夏らしい夏の日になりそうです。
友人たちとの約束をしてしまったため、迎え火には行けませんが、娘たちと孫が私の代わりに行ってくれるそうで、安心です。


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2018/08/12

■サロン「新・十七条憲法をつくる」の報告

サロン「新・17条憲法をつくる会」は、男性6人、女性1人の7人の参加でした。
各人がそれぞれ考えてきた条文あるいは項目を出し合ってから話し合いに入りました。
全9憲法案や新十七条憲法をつくってきた人もいます。
いろんな視点が出され、議論はとても刺激的でした。

ただ今回は、聖徳太子の17条憲法がそうであるように、焦点が必ずしも絞り込めず、「為政者の制約事項」に限定したものではない議論になりがちでした。
そこで、最後の30分ほどで、今回の呼びかけに応じて、「為政者の制約事項」を改めて出し合い、いわゆるKJ法もどきで整理しました。
大まかに整理すると、次の5項目になりました。
〈人権の尊重〉〈憲法の厳守〉〈独裁の禁止〉〈情報の公開〉〈特権の禁止〉

内容はかなり具体的なものがいろいろ出されました。
そのいくつかも紹介できればいいのですが、まだ十分に整理できていないので、今回は項目だけでお許しください。
決断したことへの厳しい責任を問うという意見もありましたが、それも含めて、今回出された意見をこの5項目に応じて整理し、フェイスブックで公開することにしました。
できればそこに書きこんでいき、また第2回目を開催することも考えたいと思います。

政治制度に関する話題もいろいろとでました。
熟議民主主義やミニパブリックスの話題も出ました。

また、為政者への制約と同時に、非統治者である国民にも守るべきことがあるのではないかということから、今度は「主権者としての国民の心がけること」をテーマに、憲法条項を考えてみるのもおもしろいのではないかということになりました。
これはまさに市民社会の熟度と仕組みの問題です。
それで少し涼しくなったら、そんなサロンも開催しようと思います。
こうなってくると、だんだん事務局が欲しくなってきますが、どなたかこれを運動的に展開していく作業事務局を引き受けてもいいという方がいたらご連絡ください。
3人集まったら、プロジェクトチームを立ち上げます。

ちなみに、まだ案内は出していませんが、これに関連したサロンとして、9月8日にリンカーンクラブ代表の武田さんに、「自民党政権政治を変えていくためには」をテーマにしたサロンを予定しています。
お時間が許せばご参加ください。
Kenpo17


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■節子への挽歌3995:大きなお迎えの馬

節子
明日からお盆ですが、明日はお墓に迎えに行けないので、今日、1日早く出かけて、お墓の掃除をしてきました。
日曜のせいか、お墓もにぎわっていました。
正式には明日、娘たちが迎えに行きますが、今日は自宅の精霊棚をつくりました。
例年は、迎え火の馬と送りの牛は、お盆セットについているものを使うのですが、今年は手づくりにしました。
もちろん畑でできたキュウリとナスです。

ところがこの数日、台風や所要で畑に行けていなかったので、今朝、畑に行ったら、キュウリが巨大になっていました。
なぜか花は咲いているのですが、なかなか実がなりません。
実になっていたのは3つですが、もう一本はもっと大きい句、もう一本はいささか変形で馬にはなりません。
そのおかげで、なんと25センチのキュウリ馬になりました。
例年の数倍です。
ナスの方はちょうどいい具合です。

まあ余分なことはせずに、そのキュウリと茄子に割り箸で足をつけただけです。
しかし、大きなキュウリ馬なので、きっと駿足でしょう。
迎いは一刻も早くというので足の速い馬、帰りはできるだけ遅くというので牛が、その役割を担っていますが、今年のお盆のわが家への旅はさぞスピード感があるでしょう。
節子はきっと喜んでくれるでしょう。


Shoureidana201482_2


節子は仏花は好みではありませんでしたので、花はいつも洋花です。
カサブランカが多いのですが、今年の花は畑の百日草です。
百日草は洋花ではないのですが、色がさまざまでにぎやかなのと、なんとなく私たちの世代だとなつかしさがあるのです。
娘からはあんまり好評ではないのですが、明日の朝、切って来ようと思います。
節子はきっと気に入るでしょう。

それにいつものようにお隣の宮川さんが、また花を持ってきてくれました。
宮川さんと節子はそう付き合いがあったわけではないと思いますが、不思議なことに、いつも節子好みの花を届けてくれます。
今年もピンク系のバラの花を中心としたアレンジメントでした。
いつもわざわざ花屋さんでつくってきてくださいます。
お礼の言いようもありません。
いつもわが家好みの明るい花なのです。
仏花は、明るくなければいけません。
たぶん当事者はみんなそう思っているのではないかと思います。

節子を見送った直後は、白い花に囲まれていて、気が沈んでしまっていたことがあったのを思い出します。
今年もお盆は明るく過ごそうと思いますが、

節子を迎える準備はできました。
畑を手伝ってほしいものですが、まあ無理ですね。

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2018/08/11

■節子への挽歌3994:サロンに支えられています

節子
今日は湯島で、憲法をテーマにしたサロンをやっていました。
暑い中を7人の人が集まったのですが、最初の人が1時間も早くやってきました。
その人は、たぶん今年になってから湯島に通うようになってきた人ですが、彼から、どうして湯島にはいろんな人が集まるのか、と質問されました。
たしかに、彼が参加したサロンでは、熱狂的な安倍首相支持者と強烈な安倍首相嫌いが参加していました。
平和主義者もいれば、核武装論者もいます。
原発支持者も反対者もいます。
政治に限りませんが、いろんな意見を持った人が、湯島には集まります。

どうしてでしょうか。
まあ私が八方美人なのも一因ですが、しかし、私の考えはサロンによく出る人はよく知っているでしょう。
今日も、原子力発電に関して、私は参加者とは真反対な意見を述べましたが、彼もそれを知りながら、私と真反対な意見をいつも話してくれます。
自分の意見にこだわることと八方美人的な付き合いをすることはたぶん両立します。
それに自分の意見がないまま人と付き合うことなどできるはずもありません。

湯島を軸にしたゆるやかなネットワークが生まれた源は、やはり30年前から継続しいていたオープンサロンです。
節子がいつも軽食や飲み物を用意してくれて私がいささか無分別な発言をすると、後で注意してくれました。
あの体験があればこそかもしれません。
もっとも当時のサロンの常連は、いまではもう10人もいないでしょう。

節子がいなくなった後、私が死なずに済んだのは、もしかしたらこのサロンのおかげかもしれません。
今日は、ふとそんなことを思ったりしていました。

サロンが一緒だった頃、サロンの常連だった人たちはどうしているでしょうか。
ちょっと声をかけてみようかと、そんなこともふと思ったりしていました。

それにしても今日も暑かったです。

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■カフェサロン「安心して死を迎えられる生き方のために パート2」のお誘い

中下大樹さんの「なぜ生きるのか」サロンのパート2の案内です。
パート1では、ホスピス勤務経験もある僧侶の中下さんが、これまでのさまざまな死の現場体験から感じていることや考えていることを、自らの人生にもつなげながら、お話しいただき、それを話題にみんなで話し合いました。
その様子は下記に報告を載せています。
http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=89702053&blog_id=29587

パート2では、実践活動を通して、こんな仕組みを実現したいと思っている中下さんの構想を紹介していただき、それを入り口に、「こんな仕組みがあればいいな」というようなことを出し合いながら、死を要(かなめ)にして、人のつながりを育て、平安な生き方ができるコミュニティや支え合う仕組みについて、みんなで話し合いたいです。
できれば、受益者としての願望だけではなく、自分の人生とつなげながら、みんなで作り上げていくことも視野におければと思います。

今回は、何かの実現に向かっての知恵の出し合いを目指します。
もちろんパート1に参加されていない方も大歓迎です。
こんな仕組みがあればいいなあという個人的な思いもぜひお持ちよりください。
もしかしたらそうしたことの実現への一歩が踏み出せるかも知れません。

大きなテーマですが、なにしろサロンですので、気楽にご参加ください。
よろしくお願いいたします。

〇日時:2018年8月26日(日曜日)午前10時~12時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「安心して死を迎えられる生き方のために パート2」
〇問題提起:中下大樹さん(真宗大谷派僧侶、大学講師)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

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2018/08/10

■第2回「有機野菜の旬を楽しむ会」へのお誘い

有機農業に関わっている人たちをお呼びしての「有機野菜の旬を楽しむ会」第2回は、ゲストに仲澤康治さんをお願いしました。
仲澤さんは、千葉大および同大学院で農業を学んだ後、有機野菜の生産を基盤にした総合安全食品事業を目指す企業モアークグループで4年ほど活動していましたが、2011年の3.11を契機に、ライフスタイルを変えようと霜里農場で実習し、2013年に霜里農場と同じ埼玉県の小川町で「そらつち農場」を開き、以来、有機農業に取り組んでいます。
まだ30代前半の若者です。

9月の前半は、野菜の端境期に当たるそうで、当日何を用意できるかはまだ決まっていませんが、今回は野菜に加えて、仲澤さんの丹精込めた有機のお米のおにぎりを用意させてもらうかもしれません。

有機野菜やおにぎりを賞味していただく前に、仲澤さんには「有機農業暮らしの6年」の思いや気付きをお話してもらいます。
仲澤さんは、有機農業を通して社会に役立ちたいと思っていますが、おそらく企業にいた期間も含めて、この10年、さまざまなことを考えられてきていると思います。
農業という、ちょっといまの社会の主流から離れたところにいる若い世代からのメッセージは、いろんな示唆を与えてくれると思います。
また前回のように、有機農業に関する質問にも答えてもらう予定ですので、作ることでも食べることでもいいので、何かあれば質問してください。

主催者は前回同様、霜里農場の「お母さん」の金子友子さんです。
長年、家庭農園をやっている永作肇子さんも、前回同様、お手伝い役で参加します。
私は出る幕はまったくない不要の長物ですが、成り行き上、参加します。

ぜひ多くの人に参加していただき、美味しい有機野菜を味わいながら、いまの社会のあり方やそこでの生き方を考える時間が持てればと思います。
周りに関心のありそうな方がいたら、ぜひお誘いください。

○主催者:霜里農場の金子友子さん
○生産者ゲスト:仲澤康治さん(そらつち農場)
○日時:2018年9月9日(日)14時~16時
13時半から開場しています。
○場所:湯島コンセプトワークショップ
東京の湯島天神のすぐ前です。
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
○会費:500円+思し召し(有機野菜のおいしさへの感謝)
○定員:15人以内 
※要予約(野菜の準備のため参加人数を把握したいので必ず申し込みください)
○申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

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■節子への挽歌3993:ようやく追いつきました

節子
とうとう遅れていた挽歌も、節子が旅立った日からの日数と重なる番号に追いつきました。
ようやくこれからは1日1回、書けばいいことになります。
今度は遅れないように、毎日きちんと節子に話しかけるようにします。

挽歌は追いついたのですが、ホームページの方は最近きちんとした更新ができずに、週間記録とお知らせだけを更新するにとどめています。
物事は何でもそうですが、毎日やっておかないと、1日の作業はわずかでもそれがたまると大変な量になります。
まさにホームページは、今そういう状況にあります。
その上、ホームページのプロバイダーのサービス内容が変わってしまったので、表示スタイルがどうも気にいりません。
さらにホームページをつくるソフト(私はdreamweaverを使っています)がどんどんヴァージョンアップして、それを購入できずに旧ヴァージョンを使っていますので、その面でも更新しづらさが出てきています。
しかしなにしろ厖大な、しかも構造化されていない、手づくりのホームページなのでいまさら手を加えられません。
一度、別のソフトに切り替えようとしてソフトも購入したのですが、われながら複雑なホームページなので手が出ず、ソフトも無駄な結果になってしまいました。

せっかく追いついた日なのに、どうでもいいようなことを書いてしまいました。
ほんとは、この挽歌も違うスタイルのものに変えたいのですが、節子も知っているように、私は「乗り換え」が好きではないのです。
一度お世話になったら、ずっとお世話になる。
少しくらい不都合があっても、つながりは大事にしたいのです。
ちょっと違う話のような気もしますが。

少しは節子関連のことも書きましょう。
まもなくお盆の迎え火です。
うっかり日を間違えてしまい、13日に朝から予定を入れてしまいました。
節子に叱られそうですが、まあよくあることです。
そうしたら、娘たちが孫もつれて、迎え火に行ってくれるそうです。
私は迎えに行きませんが、まあその後はずっと一緒なので、いいでしょう。
節子の迎え火に行かないのは、これが初めてです。
節子はいつもわが家にいるはずなので、迎え火というのもおかしな話ではあるのですが。

今日は孫から頼まれていた「買い物籠」を買いに行く予定です。
なぜかわかりませんが、私にご指名があったのです。
私は孫に何でも買ってやるタイプではありませんが、直接のご指名とあれば仕方ありません。
でも、「買い物籠」って何なのでしょうか。
孫と付き合うのも大変です。
私の定義では、まだ人間になっていない2歳ですので。
私は自分の子供もそうでしたが、3歳からは人間として平等に扱うようにしていますが、それまではまだ単なる生物です。
だからといってぞんざいな扱いをしているわけではなく、むしろその逆です。
3歳になるまでは、まわりの人が全力で生命を守ってやらないといけないと思っています。

もうじき迎えに来るようです。

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2018/08/09

■節子への挽歌3992:輪廻と解脱

節子
昨日はもうひとり有名人の訃報に接しました。
津川雅彦さんです。
妻の朝丘さんを看病の末、見送ってから4か月後の旅立ちです。

前に書いたこともある「100万回生きたねこ」を思い出しました。
佐野洋子さんのベストセラーにしてロングセラーの絵本です。
誰も愛さないまま自己愛の中で輪廻を繰り返していたトラネコが、百万回目にしてようやくシロネコを愛すようになり、そのシロネコが先に死んでしまった後、嘆きのまま死ぬのですが、今度は「2度と生まれませんでした」という物語です。
仏教的に言えば、輪廻転生を解脱し、涅槃に入ったわけです。
たぶんトラネコは、シロネコの死を自分の死とつなげて、そこにまさに自らの死を実感したのでしょう。

自らの死は、実際にはなかなか実感できません。
死を実感する「自分」はもうそこにはいないからです。
しかし、自分と一体化するほどにつながっている人の死は、一般には「二人称の死」と言われますが、同時に「一人称の死」とも言えるかもしれません。
実際に、そこで人生が変わる人は少なくありません。
私は、津川さんのようにはできませんでしたが、人生は変わりました。
節子への愛の深さが不足していたとは思いたくありませんが、もしかしたらそうかもしれません。
いまもなおだらだらと生きながらえてはいますが、これもまた私の定めなのだろうと思うようになっています。

津川さんは、もしかしたら輪廻の世界から解脱し、涅槃に入ったかもしれません。
そんな気がします。
しかし、その一方で、沖縄の翁長さんは、今すぐにでもまた現世に戻ってきたい思いだったかもしれません。
そういう翁長さんの生き方にも魅かれます。
自らの涅槃に入るよりも、みんなの世界を涅槃にしたい。
その実現がたとえ、何劫年先になろうとも。

おふたりのご冥福を心から祈ります。

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■節子への挽歌3991:最期まで誠実に生きた人には感動します

節子
沖縄県の翁長知事がすい臓がんで急逝しました。
予想はしていましたが、とても残念です。
政治家の死で涙が出たことはありませんが、テレビを見て涙が出ました。
何かとても大切なものが壊れてしまったような気がして、くやしいです。

救いは、翁長さんは最後まで意志を貫き、現場で活動しながら亡くなったことです。
多くの人に強烈なメッセージを残したと思います。
私のように、会ったこともないものにさえ、エネルギーをくださいました。
歴史に影響を与えないはずがありません。

同じ日に、日本ボクシング連盟の山根会長が辞任しました。
実は山根さんの事件発覚後の発言には少し行為を感じていました。
しかし、最後に逃げてしまったので、見損なっていた自分を恥じました。
逃げてはいけません。
翁長さんは最後まで逃げなかった。

節子も最後まで逃げませんでした。
十分に誠実に生きぬいた、そう思います。
それに比べると、最近の私は逃げているような気がします。
いやずっと逃げて生きてきたのかもしれません。
節子の死にも、誠実に直面していなかったかもしれない。
なにしろ最後まで、治ると確信していたのですから。
来世で節子に会ったら、謝らなければいけません。

今日はちょっとまた気分が重いです。
もっと誠実にならなければいけません。

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2018/08/08

■「相模原事件をどう超えていくか」アフターサロンのお誘い

7月27日に、「相模原事件をどう超えていくか」をテーマにサロンを開催しました。
たくさんの方が参加して下さり、それぞれにたくさんの気づきを得たサロンになったと思います。

サロンの報告もさせてもらいましたが、その時に、あまりに話したりなかったことが多かったので、アフターサロンと称して、話したりなかったことを改めて話し合うサロンを予告させてもらいました。
そのご案内です。
日程がうまくとれずに、日曜日の午前中になってしまいましたが、もしお時間が許せばぜひご参加ください。

アフターサロンと言っていますが、前回のサロンに参加されていない方も、大歓迎です。
前回のサロンの報告は下記にあります。
http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=89724274&blog_id=29587
できればこのテーマは、細くてもいいので、そして不定期でもいいので、長く続けていければと思っています。
また優生思想が首をもたげだしている今、忘れてはいけないメッセージがたくさん込められているからです。

今回は、できれば「生産性至上社会をどう考えるか」、あるいは「私たちの中にある差別意識」を取り上げたいと思いますが、参加者の関心によっては、テーマを変える予定です。
どなたか問題提起したい方がいたらご連絡ください。

○日時:2018年8月19日(日曜日)午前10時~12時
○場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
○テーマ:「相模原事件をどう超えていくか」
〇問題提起:特に決めていませんが、どなたか問題適したい方がいたらお願いします。
○会費:500円
○申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)


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■節子への挽歌3990:なぜか仕事がとてもしたくなりました

節子
台風のため、我孫子もほどほどの雨風ですが、台風とは思えない静かな雨風です。
今日は涼しいこともあり、少し頑張りました。
先日、32人の人インタビューをしたものを整理し、全体像を鳥瞰してみました。
やはりこういう仕事は面白い。
午後はちょっとそれにはまってしまっていました。

NPOに関わらずに、ずっと企業の経営の世界で活動をしていたら、今ごろどういう生活になっていたでしょうか。
今のような小作人生活や「仙人」生活にはなっていなかったでしょうし、都心に出かける時にもサンダルなどではいけないでしょう。
付き合っている人たちも、多分大きく違っていただろうと思います。

お金に困っていたかもしれません。
収入はたぶん一桁違うでしょうが、逆に支出も一桁違いで、今のようにお金に困るのは固定資産税を支払う時くらいというような豊かな暮らしにはなっていないような気がします。
節子にはよく話しましたが、お金の収入が多ければ多いほど、お金に困ることが増えるはずです。
お金のトラブルに巻き込まれるかもしれません。

今の私はお金から解放されています。
節子が亡くなった後、私が使えるお金がちょっとまとまって私に託されたために、私は大きなトラブルに巻き込まれ、節子が残してくれたお金のほとんどを失いました。
人助けのつもりが,とんでもない結果になってしまったのです。
1年以上、眠れない日もあるくらいの不安な日々を過ごしましたし、人間不信にもおちいりました。
いまもまだその関連での裁判がつづいています。
お金があるとそんな不幸にも巻き込まれますが、お金がないとそんな不幸には無縁です。

しかし最近また少し心に邪念が生まれ、お金を使う活動をしてみたくなってきています。
お金を稼いだり誰かを手伝ったりではなく、ただお金を使うということです。
会社を辞めた後の私は、仕事はお金を使うことに発想を変えました。
お金がなくなったら、仕事もできなくなりますが、それもまた素直に受け入れればいいわけですから、生きるのは簡単になります。
発想が変えられればですが。
しかし、なぜ人は稼ぐための仕事をしなければいけないのか。
よく考えてみると、それは現代人の思い込みでしかないでしょう。
仕事をするために稼ぐ必要があるというのであればわかります。
あるいは生きるために仕事をしなければいけないというのもわかります。
でも仕事とは稼ぐことでは断じてないでしょう。
そんな思いに呪縛されてしまうと、生産性のないものは生きる価値がないなどというとんでもない考えに陥ってしまうわけです。

私には、お金を稼ぐよりもお金を使うことの方が難しいように思いますが(もちろんただ消費するのではなく価値を創造していくことがいずれの場合も私が考える目的です)、まだいまなら体力も残っているかもしれません。
もちろんお金を使うためにはお金がなければいけませんが、別に私のお金でなくてもいいわけです。
よく言われるように、お金は天下のまわりものでなければいけません。
ですから、だれか使ってほしい人のお金を使ってやるということです。
さて問題は、そう言う人をどうやって探すかです。
そこが難しい。
私のまわりには、そう言う人は思いつきません。
フェイスブックででも呼びかけてみようと思いますが、うまくいくかどうかはわかりません。
しかしお金に関わることはリスクも大きい。
注意しなければいけません。
さてどうなりますか。
まあ、明日になったら、考えが変わっているかもしれませんが。

今日はなぜか仕事がとてもしたくなりました。
つまりお金を使いたくなったということです。
お金が不要の仕事は、もちろん今でもしていますが、お金を使う仕事を一度でもしてしまうと、時々、その面白さを思い出してしまうのです。
困ったものです。

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■節子への挽歌3989:お天道様からのボーナス

節子
今日は認知症予防ゲームの実践者交流会の予定でしたが、台風のため延期されました。
雨も降っているので、畑での小作人仕事からも解放されています。
なんだかお天道様からボーナスの1日をもらった気分です。
まじめに生きているといいことがあるものです。
まあ実際にはいつもわがままに生きているので、実際にはそう変わってはいないのですが、なにやら予定が変わって、白紙になるとうれしいものです。
最近なぜかやることが多くなってきて、時間破産状態です。
もっともだからといって自分のペースを変えることもなく、わがままに、つまり自分の気の向くままに、生きているのですが、精神的には何かいつもストレスを感ずるようになってきています。

今朝は早く起きて、ちょっと本を読んでいました。
時間ができたのであれば、たまっている気になっていることに取り組めばいいのですが、そうできないのもまた私の悪いところです。
節子はそういう私をよく知っていてくれました。

読んだ本は、4年ほど前に出版されたちょっと古い本ですが、テッサ・モーリス=スズキの「日本を再発明する」です。
とても面白く、いろんなことが整理される気分です。
かなり丁寧に読んでいるので、もう読みだして3日目ですが、ようやく半分です。
この本は少し時間をかけて読もうと思っていますので、あと3日ほどかけるつもりです。

読書後の朝食は、タコエッグをつくりました。
ハムエッグならぬタコエッグ。
昨夜食べ残したタコの刺身を入れた目玉焼きです。
初の試みですが、これがとてもおいしくやみつきになりそうです。
加えてすぎのファームの梨と霜里農場のブドウです。
ついでに大好物の硬めの桃。
小作人の朝食にしては今日は豪勢ですが、なにしろボーナス日ですから。
それにいつもの、青汁バナナジュースと手づくりの酢タマネギと珈琲。
朝から少し食べ過ぎて、お腹がドーン!としてしまいました。
朝食後は、今度こそ、積み残しているいくつかの課題を処理しようと思っていましたが、血液が頭にあまり来ていないようなので、頭を使わずに心を使う仕事をしようと思ったのですが、雨なので畑にも行けません。
やはり小作人の幸せは、畑(現場)にあるようですが、今日はそれがかなわない。
困ったものです。

さて今日は何をやりましょうか。
早く「やらなければいけない大事なこと」に取り組みが出て来てくれるといいのですが。
素直な自分と付き合うのも、それなりに大変です。

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2018/08/07

■節子への挽歌3988:加野さんの声は元気でした

節子
福岡大宰府の加野さんから電話がありました。
もう90歳くらいだと思いますが、お元気そうでした。
ただ、お店の方はもう他の人に任せて、安心のために今は古賀市にある弟さんのところで過ごしているようです。

加野さんには、節子が再発してから、とてもお世話になりました。
もう少し早く、加野さんに連絡していたら、もしかしたら状況は変わっていたかもしれません。
いや、たぶんそんなことはないのでしょうが、ついついそう思ったりしてしまいます。
思い出しただけで涙が出てきてしまうほどの思い出が山のようにあります。

節子が旅立ってから、加野さんのおかげで、大日寺で彼岸の節子と間接的ですが、話をしたことがあります。
大日寺への途中はひどい雨でしたが、着いた雨が上がり、帰りは晴れていました。
その時、大きなろうそくが異様に燃え上がったことが今もはっきりと思い出されます。

まあそんな不思議な体験をいくつかしています。
まあそれ以前から、加野さんとの付き合いは不思議なことがたくさんなりました。
加野さんの娘さんは節子も知っていますが、節子は加野さんには直接はお会いしていません。
でもなぜか、加野さんは私と節子の関係は知っているようです。

大宰府は不思議なところです。
加野さん母娘と会う前に、大宰府に立ち寄ったことがあります。
何で行ったのかまったく思い出せないのですが、加野さんのお店には立ち寄らなかったので、加野さんと知り合う前だったような気がします。
時間があったのでしょうか、政庁跡を歩きました。
その時に、突然、以前ここを歩いたという強い気持ちが生まれました。
いわゆる既視感(デジャヴ)体験ですが、それも平安時代に歩いたというような気が強くしたのです。
その後、観世音寺に行って国宝館に入った時の恐怖感は、いまも強く残っています。
恐ろしさに動けずに、その場にしばらくたっていたことを思い出します。
仏像の前で、恐ろしさで震えたのは、これまでに2回しかありません。
その後、観世音寺を再訪した時には、そんなことは全く感じなかったのですが。

できればもう一度大宰府に行きたいと思っていますが、最近は遠出がだんだん億劫になってきました。
こんなことでは、彼岸への旅立ちも、だいぶ先になりそうです。
加野さんは娘さんの供養のために100歳を超えるまで生きないといけないと前に話されていました。
多分それは実現するでしょう。
そう思わせる力強い元気な声でした。

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■節子への挽歌3987:すぎのさんの幸水

節子
すぎの梨園に梨を買いに行ってきました。
今年は例年よりも1週間近く早い感じです。
この梨は節子が大好きだったので、お盆に供えられればいいのですが、今年は間に合いました。

すぎの梨園は、節子が梨を買いに行くというのでついていったのが初めてです。
家族みんなで果樹や野菜・お米作りに取り組んでいます。
最近はひまわり油や梨を使った加工品の開発にも取り組んでいます。
加工品開発は奥さんの担当なのです。

今日は突然お伺いしたのですが、ちょうど柏市の栄養士の卵らしい人たちが10人ほど来ていて、杉野さんのレクチャーを聞いていました。
それで少しだけ奥さんとは話しましたが、杉野さんとはお話はできませんでした。
またゆっくり話に来てくださいと言われましたが、この時期はたぶん忙しいのでしょう。

すぎの梨園の梨、特に私は幸水が好きなのですが、これは人気ですぐなくなってしまいます。
たまたま今日の午前中、ある人と長電話していたのですが、その人にも味わってもらうと思いついて、送ってもらうように頼んだのですが、もう品物がないようでした。
しかし、息子さんのこうすけさんが、なんとか工面してくれました。
ありがたいことです。

帰宅して、早速に食べました。
やはり杉野さんの梨はおいしいです。
節子には一番大きいのを供えさせてもらいました。
例年よりも早いですが。

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■反社会的勢力との付き合いがなぜ問われるのか

日本ボクシング連盟の山根会長に関して、元反社会的勢力との付き合いが問題にされています。
これは私にはなかなか理解できないことです。
第1に、付き合いが問題にされるような組織、つまり「反社会的勢力」などと規定されるような組織がなぜ存在できているのか。
第2に、そこにいるメンバーやそこにいたメンバーとの付き合いはなぜ非難されるのか。

私も、元暴力団員との付き合いがありました。
その人はそこをやめて、福祉施設で働いていました。
私が関わっていた「自殺のない社会づくりネットワーク」の集まりに参加したのを契機に、彼との付き合いが始まりました。
友人たちからはやめた方がいいと言われましたが、なぜ付き合ってはいけないのかがわかりませんでした。
彼は突然わが家まで来たこともありますが、障害を持った人たちを旅行に連れていきたいという夢を持っていました。
しかし、その夢は果たせませんでした。
すい臓がんになって急逝したのです。

彼との関係では、実は私もトラブルに巻き込まれてしまいました。
彼の苦境を救うために借金までしてお金を工面したこともありますし、彼にコーヒーをご馳走になったこともあります。
もし私が、山根さんのような有名人だったら、非難されるのでしょうか。
しかし、その人の属性や過去によって、付き合うかどうかを決めるのは私の信条に反します。
いや、人間としてそんなことをやるべきではないでしょう。

さらに言えば、「反社会的勢力」とはいったい何なのでしょうか。
そもそも「暴力団」なる言葉がいまもなお存在することさえ私には理解できません。
規制する法令はありますが、規制法令があるということは存在を認めているということです。
それにどんな組織にも「反社会性」は存在します。
行政組織の反社会的行動も、最近は日常的と言えるほど、話題になっています。
そもそも立場によっては、政府そのものも「反社会的」な存在になり得ます。
そういう状況では「革命」や「クーデター」も起こります。
ですから、社会的かどうかを白黒で二分することは危険です。
「反社会的組織」とは、反社会性が大きい社会的組織のことなのかもしれません。
これに関して書きだすとまた話が広がりそうですのでやめますが、簡単に「反社会的勢力」と言ってしまっていいのかは疑問です。
ましてやそこに関わったことのある人の付き合いは非難されるべきという風潮にはもっと大きな疑問を持ちます。

それよりももっと大切なことは、自らが所属している組織には「反社会的」な行動がないのかを、それぞれがしっかりと考えることではないかと思います。
そしてもし、そのようなことがあれば、それを変えていくように、自分でできることを考え行動していくことです。
自らの生き方において、「反社会的」な言動はないかを問い質すことも大切です。

見方によっては、私のこの意見もまた「反社会的」なのかもしれません。
ことほどさように、「反社会的」などという言葉は多義的です。

ところで、山根さんにちょっと好感を持ってきました。
邪気を感じません。
私の感覚がおかしいのかもしれませんが、山根さんとは正反対の人たちが、山根さんに寄生しているような気がしています。
私が嫌いなのは、嘘と邪気なのです。

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■節子への挽歌3986:自然のまま、時代のまま、そして自分のまま

節子
久し振りに肌寒ささえ感ずる夜で、熟睡してしまって、目が覚めたら7時近くでした。
雷雨も予報されていましたが、我孫子は荒れたようでもなく、恵みの雨のようです。
畑も今朝はお休みです。
今日はすごしやすそうですが、これだけ急に気温が変わると、身体がついていけないのではないかという気もします。

しかし、自然の状況によって、人がいかに大きな影響を受けるか。
いつもながらそのエネルギーには感心します。
その自然に抗って、人間中心の世界を築きあげてきた西欧近代の歴史には感心します。
日本人が、そうしたものに巻き込まれ、生き方を変えたのも仕方がないかもしれません。
自然のままに生きると自分のままに生きるとは、私には同義語です。
自然の大きさを知るにつけて、自分もまたその自然のささやかな一部であることを時間してきていますが、もしかしたらそれも含めて時代の流れもまた、同じように自分とは切り離せないかもしれません。
つまり、時代のままに生きると自分のままに生きるとも、同義語なのかもしれませんが、こうなってくると話はいささかややこしくなってきて、今の私にはまだそれらは反義語にしか思えません。

まあ涼しいせいで、朝からいささか小難しい話を書いていました。

朝、久しぶりに福岡の蔵田さんから電話がありました。
お元気そうでした。
蔵田さんのように、一点の邪気もなく、健やかに生きている方の声を聞くと元気が出ます。

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2018/08/06

■節子への挽歌3985:縁カフェは不思議な組合せでした

節子
今日は恒例の縁カフェでした。
喫茶店をつくりたくて基金集めに取り組みだしました。
珈琲代金をためて頭金にしようと思います、今日は4人のお客さまで(一人は私ですが)、2000円が集まり、累計1万2500円になりました。
基金に貢献したいと言って、毎回、忙しい中を来てくれる鷹取さんとは、なぜかいつもスポーツ(不祥事)論議です。
縁カフェの間になぜかいつも不祥事が起こるのです。
今回は日本ボクシング連盟の山根会長の話が話題になりました。
山根会長は憎めないと私は言いましたが、鷹取さんは私の意図をいつも的確に理解してくれるので、安心して話せます。

つづいてきたのが、なんと霜里農場の金子友子さん。
いつものように野菜を持ってきてくれて、ちゃんと食べるようにと言われました。
彼女はペットボトルのお茶も飲んではいけないというので、彼女が来るときにはきちんと用意しておかねばいけないのですが、今回は不意を突かれてしまいました。
彼女は新しき村などのコミュニティの話をいろいろと話してくれました。

もうひとりは、私が誘っていた若者ですが、わざわざ会社を休んできてくれました。
そんなこととはつゆ知らず、誘ったことを反省しましたが、最近、この若者にちょっと興味を感じているのです。
あまり書けませんが、私が親として失格だったことを気づかせてくれる人なのです。
同時に、私の考えへの疑問を問いかけてくれる生き方をしている人でもあるのです。

とても奇妙は組合せでしたが、なぜか話はかみ合いながら盛り上がっていました。
縁カフェサロンは、いつものサロンとは一味違った魅力があります。
節子と一緒に始めた頃のサロンは、いつもこんな感じでしたが。

金子さんからもらったキュウリはとてもおいしかったです。

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■節子への挽歌3984:読書の2時間

節子
5時前に目が覚めたのですが、今日は畑に行かずに、パソコンに向かってしまいました。
なにしろ日中は暑すぎて思考力や意欲が低下します。
やるべきことは山のようにあるのですが、期限を約束していることはほとんどありません。
ほとんどが私のボランティア活動だからです。
ちなみに、ここでいう「ボランティア」というのは、「自分の意志で引き受けたもの」というような意味です。

会社を辞めてから、契約に基づく仕事もいくつかしていますが、基本的には私自身が納得するやり方で進めるということを大切にしています。
それに形だけを整えるようなことは、基本的にはやらないようにしています。
こうした働き方のおかげで、私自身はそれなりに納得できる生き方ができています。
ただ、節子が私よりも先に居なくなるということに関しては、ほとんど納得できていません。
そのことで、私の人生は大きく変調してしまいました。
最近ようやくそれもまた私の人生と受け入れられるようになってきていますが、いまもまだ私は「変調」したまま生きている気がします。

やらなければいけないというのは、自分の思いに対してです。
しかし、だんだん怠惰さが高まり、「まあ、いいか」と先延ばしすることが多くなってきています。
このままだと多くのことは来世に持ち越され、来世はさぞかし忙しくなることでしょう。
でもまあ、それもまた「まあ、いいか」です。

今朝は2時間ほど時間がありましたが、結局、パソコンに向かうよりも本を読んでしまいました。
ここ数日あまり本を読む気になれなかったのですが、久しぶりに本を手に取ったらすいすいと読めたからです。
本を読むと、世界がますます広がります。
どうしてこんなにも面白い世界が広がっているのだろうとワクワクするのですが、もっと若いころからもう少し読書をしておけばよかったと時々思います。
まあ一般的な尺度から言えば、私はたくさんの本を読んだ方だと思いますが、それでも万巻の書の世界をほんの少しかすっているだけでしょう。
実に魅惑的な世界です。

さて今日はまた湯島です。
どんな人に会えるでしょうか。

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2018/08/05

■節子への挽歌3983:15%引きのスーパでの買い物

節子
今日は近くのスーパーが大安売りだというので、娘と一緒に出掛けました。
ほぼ全品が15%引きです。
娘によれば、15%引きの日はそもそも設定価格が少し高目になっているのもあるそうですが、なんだか得をするような気がして、買い物かごに勝手にいろいろと入れてしまいました。
偉そうなことを言っていても、私もまだ、得をするかどうかで信条を簡単に裏切ってしまうようです。
氷イチゴ用のシロップとか、酢タマネギ用のリンゴ酢とか、健康対策用に甘酒とか、ついでに最近テレビで知ったサバ水煮缶とか、いろいろと入れたら、後で娘から購入代金が大晦日並だったといわれました。
最近はカードで購入できるので、その時は気楽に買ってしまえます。
愚かな消費者そのものになってしまいました。
困ったものです。
勢いで買ってしまうと無駄なものも入り込んできます。
しかし私のような質素な庶民は、買うといっても、高が知れています。
そもそも冷蔵庫も小さいので、その面からの制約もあります。

いま話題のサバ水煮缶はなんと98円でした。
4つも買ってしまいました。
明日から毎日、サバ水煮缶料理です。
むかしはサバ缶は食べられなかったのですが、先日、サバの味噌缶を食べたらおいしかったですので、大丈夫でしょう。
しかしその缶詰は500円くらいしていた気がしますが、今日のは98円。

自分で買い物をすると価格の不思議さをよく体験します。
同じものなのに価格がかなり日によって変わるのです。
それはフェアではないのではないかと思いますが、それを楽しみにしている人も多いのでしょう。
一番いやなのは、私自身がやはり一番安い日を選んでしまうことです。
もう一つ不思議なのは、店によってかなり価格差があることです。
なかには倍近く違うこともありますが、それでいずれも成り立っています。

今日行ったお店は今日の2時間だけが15%割引なのです。
その切り替えをレジの人はどうするのでしょうか。
その切り替え時を見たかったのですが、娘の車で行ったので、ひとりだけ残るわけにひかずに、見損ないました。

節子
スーパーでの買い物は面白い。
退屈しませんね。

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2018/08/04

■節子への挽歌3982:花火を見ていますか?

節子
今日は手賀沼の花火大会です。
ジュンの友だち家族が来るというので、朝から大掃除でした。
ところが、孫のにこが急に熱をだし、ジュン親子も友だち家族も来ないことになりました。
というわけで、今年はユカと2人の花火です。

節子がいた頃は、いろんな人たちに来てもらっていました。
その接待が大変で、節子はゆっくりと花火を見られないほどでした。
そもそも私たちは、花火が大好きなので、それが目の前に見えるこの場所を選んだのですが、お接待好きな節子ですから、それは苦にはならなかったはずです。

節子の最後の年は、さすがに花火を見ることはできず、お客様はありましたが、娘たちに任せて、私たち夫婦は、寝室で花火の音だけを聞いていました。

節子がいなくなってからは、あまり人を呼ぶ気が起きなくなってしまいました。
誰かが来たような気もしますし、娘たちの友人たちだけだったかもしれません。
それほど花火の当日は、私の精神はおかしくなってしまっていました。
花火を見ていても、どうも気が乗りません。
昨年くらいから少し精神的にも安定してきました。
今日はゆっくりと花火を見ようと思います。

そろそろ打ち上げがはじまります。
節子もどこかで見ているでしょうか。

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■節子への挽歌3981:生命の時計

節子
久し振りに朝の畑の作業をしてきました。
といっても、相変わらず右手があまり使えないので、草取りくらいでしたが、それにしても野草の成長の速さには驚きます。
それに比べて野菜の成長はなかなか進みません。

種から育てたキュウリはだいぶ大きくなりましたが、種をまく時期がかなり遅れていたので、花はたくさんつくのですが、受粉が行なわれずにキュウリができません。

自然の時計の見事さには、改めて感心させられます。
野菜にはしっかりと蒔くべき時があるのです。
庭の鉢で育てているカサブランカも、わざわざ時期をずらして球根を植えたのに、同じ日に花が咲きました。

生命には、それぞれに時計が埋め込まれているのでしょう。
節子にもまた、時計があったのでしょうか。
私の時計は、どうなっていて、いま何時くらいなのでしょうか。

私は長いこと腕時計をしていません。
そのため、時々、話している相手の人に「いま何時ですか」と訊くこともあります。
慌てて話を打ち切って別れることもありますが、時計がなくて困ったことはありません。
腕時計よりも、自らの生命の時計にしたがって生きるのがいいでしょう。
それがいま、何時を指しているのか、知らないほうがいいのでしょう。
それに時計はそれぞれによって大きく違っているはずです。
時間は人によって違うのだと思うと、人との付き合い方も少し変わってきます。

畑からモロヘイヤを収穫してきました。
なにやら元気に育っていたのですが、それが何かわかりませんでした。
苗をもらった人に写真を送って訊いたら、モロヘイヤで成長させすぎだと言われました。
それで今日、上の方を切り取ってきたのです。
キュウリも1本だけお化けのように大きく成長していました。
収穫もきちんとやらないといけません。
ついでにミニトマトも少し収穫。

いま野菜が高騰していますが、来年は野菜を買わなくても済むように、いろんなものを植え付けようと思います。
生命の時計もすばらしいですが、自然が生みだす生産性もすばらしい。
現代の社会で使われている「生産性」とは全く違う概念のように思っていますが。

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2018/08/03

■節子への挽歌3980:昭和の人は過去の人

節子
先日、20代の若い女性から、「昭和の人は過去の人」と指摘されてしまいました。
過去の人がいかに新しいことを言っても行動がついていっていない、という指摘でした。
私のことを言ったわけではなく、彼女の周辺にいる人たちのことをそう表現したのです。
話を聞いていて、実は私も昭和の人なので、すみません、とつい謝ってしまいました。
彼女は慌てて、私のことではないといいましたが、私が「昭和の人」であり「過去の人」であることは間違いない事実です。
そして、そうした昭和の人が相変わらず社会の要職を占めていることには違和感があります。それに、過去の人が偉そうなことを言う風景は、私も辟易しています。
口で言うなら、行動もしろ、と私もよく思うことがあるので、彼女の言い分はとても納得できるのです。

いま話題のスポーツの不祥事の報道を見ていると、同じように感ずることがよくあります。
過去の人たちが寄ってたかって、自分たちの世界を正当化する仕組みをつくっている。
そんな感じのことも少なくありません。
しかし、「昭和の人は過去の人」と正面から言われると、「過去の人にも価値がある」とも言いたくなります。
私も若いころ、明治の人や大正の人に結構価値を感じたこともありますから。
もう終わってしまった古い人だって、価値がないわけではありません。
しかし大切なのは、主役にはなり得ないという自覚でしょう。
脇役や黒子としての価値は、過去の人にもあるはずです。
それに、過去と現在と未来はつながっているし、どれが一番新しいかはわかりません。
平成が昭和より新しいわけでもない。
私の時間観はいささか特殊なためややこしくなるので、ここら辺でやめましょう。

過去の人として、何ができるか。
そういう意識を持って、過去の人らしく、現在に役立っていこうと思っています。
「未来の人」と言われるよりは、生きやすいかもしれませんし。

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■節子への挽歌3979:若者への信頼

節子
2か月ほどブラジルに出張していた若い友人が相談があると言って湯島に来ました。
暑い日でしたが、そのために湯島に出かけました。
本題に入る前に日本人のブラジル移民の話になりました。
もう今から40年ほど前ですが、私もブラジルを訪問したことがあります。
先日の挽歌で書いた懸賞論文に入選したおかげです。
移民の多くは、棄民と言われるくらいひどい状況だったようですが、一部の人は成功しまたした。
私たちが訪問した人のところでは、牛一頭を丸焼きにしてもてなしてくれましたが、私にはそういうのはまったく興味がないため、あまり印象は残っていません。
しかし、その一方で、苦しい生活をしている人たちの姿が印象的でした。

彼から、ブラジルには、今なお武者小路実篤の「新しき村」のようなコミュニティが残っていることを教えてもらいました。
今回、彼はそこにも行ってきたようです。
私も、少し調べてみようと思います。

話しているうちに、彼は2冊の最近の本をとりだしました。
これを読んでいろいろと考えが変わったというのです。
勧められたからには読まないわけにはいきません。
読んでみるつもりですが、話していて、情報ギャップにいささかの戸惑いがありました。
まあ半世紀ほどの歳の差があるのは仕方がないのですが、マスコミの世界にいて、問題意識の旺盛な若者にして、こうであれば、企業で働いている人たちとの情報ギャップはもっと大きいでしょう。
私の言葉が通じないのは仕方がありません。
すでに住んでいる情報環境が違うのです。

しかし、問題意識やビジョンは、話していて非常に重なっていることを感じました。
ちょっとだけ話した私の問題意識や考えにとても共感してくれました。
湯島に来た時とはちょっと考えも変わったようです。
それが実にうれしく、彼の活動に少しでも役立ちたいと思いました。

彼が高校生の時に出合ったのですが、私たち世代のライフスタイルとは全く違います。
育った社会環境や情報環境もまったくちがいます。
でも思いは通じ合える。

先日3日間で32人の人と個別面談して、人はやはり信じられると確信を新たにしましたが、今日は別の意味で、人を信じられる気がした1日になりました。

彼がいい番組をつくってくれることを楽しみにしたいと思います。

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■節子への挽歌3978:夢と現実

節子
今朝、(たぶん)大学の若い先生に会いました。
彼の授業に招待されたのです。
うっかり名前を聞かなかったので、もしかしたらもう2度と会えないかもしれませんが、彼との会話は楽しいものでした。
とっても大切な視点に気づかせてもらったように思います。

こういうことが時々あります。
残念なのは、昔と違って最近は、そこで話し合ったことが、目が覚めると思い出せなくなってしまうのです。
その人に会ったのは、夢の中です。
わが家のリビングルームに似た教室でした。

以前は同じ人(もちろん現実では面識のない人)に、夢の中で会うことがよくありました。
しかし、今朝会った若い教授は初対面でした。
名前の記憶がないので、再会は無理かもしれません。
繰り返し会う人は、名前を持っています。
どういう名前かは記憶に残らなくても、夢の中では名前を知っていた印象がある。
名前はとても大切です。

朝からおかしなことを書いてしまいましたが、私はどうも、夢と現実とをつなげて考えてしまうことがあるのです。
朝、起きて、節子に夢の中の話の続きで問いかけることも、かつては時々ありました。
節子も結構慣れてしまって、適当にあしらわれていましたが、私にはそれも含めて、居心地がよかったのです。
もちろん私としても、夢と現実の違いは理解しています。
しかし、どこかでつながりを信じているのです。
時間軸を柔らかくしたら、きっとつながるのではないかとさえ思っています。
そうしたら、夢の中の人にも現実でいつかどこかで会えるでしょう。
何が「現実」かはややこしい話ですが。

こういう私の言動には、いまはユカが迷惑していますが、ユカもだいぶ慣れたのか、節子のように軽くいなすことを身につけていますので、まあ不都合は生じていません。
時々、故郷の星に帰ったらと言われますが、そこへの行き方がまだわからないので、帰るとしても、時期を待たなければいけません。

今日は生き物が元気です。
少しだけ涼しい朝に、思い切り生きているのかもしれません。
出遅れましたが、私もこれから畑です。
早朝から授業に出ていたので、ちょっと疲れていますが。

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■節子への挽歌3977:見放された人生を過ごす哀れな老人

節子
時評編に少し書きましたが、スポーツ界の不祥事がつづいていて、今度は日本ボクシング連盟の会長への辞任運動が広がっています。
時代が大きく変わってきているにもかかわらず、社会のさまざまな組織のトップやその周辺にいる人の意識は昔のままなので、組織と社会がずれてきているのが、ほとんどの事件の原因ですが、トップの人の話を聞いていると、むしろ同情したくなることが多いです。
同情するという意味は、哀れな老人の惨めな生活が見えてくるからです。

今回の日本ボクシング連盟会長の山根さんは、あまりにボクシング活動に夢中になったために、奥さんから離縁されてしまったそうで、それを今日もいろいろと話していました。
あるいは、選手を愛して、オリンピックで金メダルを獲得させてやったのに、今では辞任せよと言ってくると、裏切られた愚痴も話していました。
自らの批判に対する反論も、かわいそうなほど惨めなもので、同情しないわけにはいきません。
お金や権力で得た人生は、一見、華やかに見えても、内容はお粗末な不安に覆われているのでしょう。

先週、本で読んだのですが、ボルネオ島の少数民族プナン族の社会では、みんなのリーダーとなるビッグマンは、物質的には一番貧しいのだそうです。
すべてをみんなに分け与えてしまうので、何も持っていないのです。

何かを所有すると、その所有している者に逆に支配されてしまう。
そして惨めな奴隷生活に入ってしまうのかもしれません。
山根さんも、きっと奥さんに見放された時に人生は終わっていたのでしょう。
私も、節子に見放された10年前に人生が終わったと思っていました。

実際に見放されたのではないと気づくまで長い時間が必要でしたが、気づいたおかげで、人生を終わらせずにすみました。
おかげで、山根さんのような「哀れな老人」に堕ちることから救われているのかもしれません。

今日も暑い夜です。

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2018/08/02

■節子への挽歌3976:異様な猛暑

節子
今日は昨日までの3日間にあった32人の記録を思いだしながら記録しようと思っていたのですが、あまりの暑さに、クーラーのない私の作業場ではとてもパソコンはできません。
それに今日発見したのですが、暑い中にいると眠くなります。
雪山で遭難した人が眠くなるのを思い出しました。
人はある範囲の温度のなかで、生きていける、つまり思考していけるのでしょうか。

まあ、暑さの中で死んでしまうのも、ちょっと魅力的ではありますが、それではいかにも無責任なので、クーラーが最近作動しているリビングで過ごすことにしました。
そこでまた発見したのですが、人は快適な温度の中にいると眠くなるのです。
いやはや、今日はどんな状況を作っても眠くなってしまうようです。
そういうときには素直に眠るのが言い。
というわけで、午後、1時間ほどソファーで寝てしまった。

目が覚めて、部屋の外に出たら、異様な暑さです。
「危険な暑さ」」とテレビで報道されるのを見るたびに、私はどうも違和感があったのですが、それが納得できるような暑さだと認めざるを得ないと思いました。
「危険な暑さ」という表現を非難したことの不明を恥じます。
大きく反省。

そういえば、反省はサルでもできるとよき割れていました。
しかし最近、そういうことをいう人がいなくなりました。
人間はだんだん反省することを忘れたのかもしれません。
機械は反省などしないですから、機械の部品へと進化しつつある人間たちの辞書からは「反省」という言葉が消えだしているのかもしれません。
その証拠に、テレビでは、なんだか同じような不祥事や茶番劇が、形を変えて次々と起こっていることが報道されています。

この挽歌は、今、リビングで書いています。
古いノートパソコンを引っ張り出してきて、書いているのですが、ちょっと使いにくいので、疲れます。
もしかしたら来月、不定期な収入がありそうなので、新しいパソコンを買えるかもしれません。
でもその頃は多分涼しくなっていて、部屋でパソコンができるようになっているでしょう。
人生はなかなかうまくいきません。

さて長いこと冷房の聞いた部屋にいるとなんだかどこかに行きたくなります。
しかしこの暑さ。
危険を回避するために、もう少しこの部屋にいようと思います。

こうして人間は生きることをやめていくのでしょうか。
生きるということは危険と付き合うことなのに、危険から逃げているようでは、生きている意味がない。
さてどうしましょうか。

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■見えやすい巨悪に寄生する小悪にこそ目を向けたい

日本ボクシング連盟の問題がテレビをにぎわせています。
スポーツ業界は見事なほど、同質化していますね。
どこかにきっとモデルがあるのでしょう。
日本ではもう、スポーツにおけるフェアプレイ精神など残っていないのでしょうか。
スポーツの世界は人を育てる世界ではなくなったのでしょうか。
それぞれの分野ごとではなく、スポーツに関わる人たちが、種目を超えて、スポーツとは何かを改めて問いただす動きが出てくるのを期待したいです。
私は、以前も書いたように、スポーツにはあまりいいイメージを持っていなので、すべてのスポーツ協会組織は一度解散したほうがいいと思っていますが。
オリンピックなどはもう一度、原点に帰るべきでしょう。
今回の事件は山根会長が悪者になっています。
もし報道が事実だとしたら、たしかにひどい言動を重ねていると思いますが、しかしもっと悪いのは、そうした会長を生み出した「業界のリーダーたち」だろうと思います。
会長は、そう言う人たちの象徴だろうと思います。
岐阜のインターハイでの、岐阜県ボクシング連盟の四橋会長のあいさつは、部外者の私には違和感もなく共感できます。
というよりも、当然のことを言っているだけの話ですが、それがこれほど話題になることもまた、日本ボクシングの世界はもう腐っているとしか言えない気がします。
山根会長は、ただその全体の実態を可視化しているだけの、哀れな存在でしかないのでしょう。
地位や権力や見栄えにしか頼れない、いつの心の安まることのない、さびしい哀れな人なのだろうと思います。
山地会長の椅子にふんぞり返った写真がテレビでよく出てきますが、あの写真は多くのことをメッセージしてきます。
あの写真を見たら、多くの人は悪いのは山地会長と思うでしょう。
しかし、と、私は思います。
あの写真とは違う、山根さんの写真は、別のメッセージを伝えてくれるかもしれない。
大きな悪者をつくれば、そこに寄生できるたくさんの小さな悪者が見えにくくなります。
問題が起きたら、その大きな悪者を切れば、何も変えなくても世間の目はかわせるかもしれません。
これはスポーツだけではありません。
政治でも経済でも、すべてにおいてそういう傾向がある。
それにしても、あまりに同じような事件が、実にタイミングよく、顕在化されます。
それもまた、とても気になることです。
いま考えるべき、もっと大切な問題があるのではないか。

スポーツを道具にしてはいけない。
スポーツを道具にされてはいけない。
スポーツ音痴の私が思うのは、それだけです。

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■節子への挽歌3975:畑の花や野菜たちも元気でした

節子
気が付いたら、今日は8月2日。
もう8月になりました。
この調子だと、気が付いたら彼岸にいたということになりそうです。

節子の母は、信仰の厚い門徒でしたので、「お迎え」の話をあっけらかんとしていました。
私の母は、曹洞宗でしたので、死の話はまったくと言っていいほど口にしませんでした。
2人の生き方は反対でしたが、その違いに関しては、節子と私はよく話題にしたものです。
節子が旅立つ直前の8月は、わが家では死が語られることはありませんでしたが、それがいまにして思えば、悔いになっています。
8月は毎年、悔いの月でもあるのです。
今年もそうなりそうでちょっと不安です。

今朝も暑いです。
朝畑に水をやりに行ってきました。
昨日さぼったので心配でしたが、みんな元気でした。
これまでは育つに任せていましたが、これからは収穫も考えようと思います。
今日はミニトマトとレタスを収穫し、朝食で早速食べました。

花壇の花も元気でした。
芝桜はなかなか広がりませんが、まあ枯れずにいます。
マリーゴールドと百日草は元気ですが、それ以外にも5種類くらいの種をまいたはずですが、見当たりません。
野草に負けたか、私が間違って抜いてしまったかでしょう。
でもまあ少しは花壇らしくなってきました。
バラも咲いていますし。

朝早かったせいか、ばったたちは眠っているようで、あんまりいませんでした。
今日はさすがに暑いので、朝からリビングにはエアコンを入れていますが、不思議に暑い今年の夏は、エアコンが順調に作動してくれています。
昨年はなにやら大きな音を出したりして、うまく作動してくれなかったのですが。

今日はちょっと休みたい気分ですが、何かと最近、宿題が多くて、休めそうもありません。
でもまあ、結果的にはたぶん休んでしまうでしょう。
無理をしないのが、私の生き方ですので。

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2018/08/01

■節子への挽歌3974:32のこころ

節子
この3日間、ある会社の社員32人全員と個人面接をしてきました。
休み時間なく、9時半から4時過ぎまでのハードスケジュールです。
ある課題を解くために引き受けたのですが、裏の目的は別にあります。
「雨ニモマケズ」の「そんな人」になりたかったのです。
困っている人がいたら、出かけなければいけません。

32人の中には私の知っている人も少なくなかったのですが、ゆっくりと話した人はあまりいません。
30分で知りたいことを知るためには、言葉だけでは無理です。
心を通わせ合わなければいけません。
それには私自身の心を全開しなければいけません。
全てうまくいったわけではありませんが、いくつかのドラマが生まれました。

2人の人は泣きだしました。
2人の人は心を開いて質問していないことを話しだしてくれました。
私も1回だけですが、少し涙が出そうになりました。
相手はみんな初対面の人でした。
それにとてもうれしい「差し入れ」のハプニングがありました。
3日間、苦労した甲斐がありました。
お天道様は必ず見ていてくれるのです。

あまり詳しくは書けませんが、伴侶を2年前に亡くした方がいました。
彼女に、何か気になることはないかと質問したら、「(夫を亡くすという)大きな辛いことを経験したので、どんなこともそれに比べれば小さくて気にもなりません」と応えてくれました。
10年前のことを思い出しました。
あの頃は、地球が爆発しても驚きませんでした。
大きな悲しみは小さな悲しみを吹き飛ばしてしまう。

もうひとりの方の涙は、もっと意外でした。
迷惑をかけることは相手に役立つことでもある、というような話を具体的な例をいれながら話したら、急に涙ぐまれました。
世界が開け心が開いた瞬間だったような気がしました。

32人の人たちは、みんな素晴らしく善良な人たちでした。
疲れましたが、みんなからたくさんの元気をもらいました。
32の心を、少しだけ垣間見せてもらいました。
そして、最近ちょっと人間嫌いになっていたのですが、またとても人間好きに戻れました。

みんなにお礼を言いたい気分です。
しかも、少しは役に立てそうです。
今日は熱帯夜のようですが、犬のように眠れそうです。

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■節子への挽歌3973:バランスをとる生き方

節子
暑い毎日ですが、朝の風のさわやかさは気持ちがいいです。
昨夕、畑にはたっぷり水をやってきたので、今朝は畑には行かずに、風に身をさらしていました。
人と会うことの多い時には、できるだけ自然に身をさらす時間を持つようにしています。

バランスをとることはなかなか難しいものですが、私のように志向がかなりシンプルな動きをする人間にとっては、大事なことだと思っています。
なにしろ思い込んでしまうとどんどん深まってしまうタイプですから。
最近はかなりそれが身について、どこかで自制力が働きます。
それはもしかしたら、生命力の衰えなのかもしれませんが、引き返す思考力が生まれてきたと言えるかもしれません。

会社時代、数量を扱う仕事に埋没することがありました。
マーケット予測や需給見通しなどの仕事でした。
夜遅くまで、オフィスで一人で電卓や計算尺(当時はパソコンなどありませんでした)を使って数値計算したり、データ解析をしたりしていましたが、数字ばかり見ていると思考がとても論理的になってしまいます。
それは要素が一つ変わっただけで結論も変わってしまうという世界でした。
意識的には前提となる要素をできるだけ増やしたいと思っていても、現実には思考の縮減のためにあまり視野を広げたくないという無意識の動きが出てきます。
私は、論理というものの限界をいつも感じていましたが、その思考の世界に入ってしまうと全体が見えず、思考の飛躍がしにくくなってしまうのです。

その頃、心がけていたことがあります。
懸賞論文に取り組むことです。
毎月、1つか2つの懸賞論文の応募を見つけては、土日をその論文書きにあてたのです。
テーマはできるだけ普段あまり考えたことのないテーマを選びました。
そういうことを1~2年続けました。
小さなものもあれば、大きなものもありました。
勝率はかなり高く、それでワープロをもらったり、南米への視察旅行もできました。
「賞金稼ぎ」と言われたこともありますが、賞金をもらったこともあります。
数字中心の仕事から解放されたのを機に、懸賞論文への応募はやめましたが、刺激的な経験でした。
なにしろ白紙から情報を集めて、そこからテーマに沿ったメッセージを引きだす作業を時間を決めてやるわけですから、かなりの集中力と思考を飛躍させる訓練になりました。
ワクワクするような発見もありましたし、人との出会いもありました。

おもしろかったのは、ある懸賞論文に応募して入選したのですが、そこで知り合った募集側の事務局の人と別の懸賞論文の表彰式で会いました。
その時の商品が南米視察だったのですが、その人と一緒に行くことになったのです。
その人は実に個性的な人で、その後、付き合いも始まりました。
私よりも一回り年上のかたで、私のことを「おさむちゃん」を呼んだりして、親しくしてもらいました。
もうひとりは大学の文学の教授の女性の方でした。
岐阜の方だったので、付き合いはしばらくしてなくなりました。

論文と言っても、私が取り組んだのは、思考実験的な書き物でしかないのですが、私には世界を広げ、柔らかくする楽しい謎解きだったのです。
その後、会社を辞めてから、いろんなことに関わる上では、とても役立った経験でした。
どんなテーマも、思考して、それなりの自説を創りだせるという自信のようなものもそだてられた気がします。
小さい時から推理小説が大好きでしたので、まあその延長でもありました。

いろんな世界に関わり、生き方も固定させない。
それは若いころからこだわってきたことです。
たくさんの人と会うときは、自然ともしっかりと付き合っておかないといけません。
しかしまだ右手が不調なので作業はできませんが、今朝は起きてから30分ほど、庭を見ながら、何もせずに過ごしました。
おかげでとても元気が出てきました。
朝の無為の時間はいいものです。

実は昨夜の夢見があまり良くなかったのです、今日もいい1日になりそうです。

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