■節子への挽歌3981:生命の時計
節子
久し振りに朝の畑の作業をしてきました。
といっても、相変わらず右手があまり使えないので、草取りくらいでしたが、それにしても野草の成長の速さには驚きます。
それに比べて野菜の成長はなかなか進みません。
種から育てたキュウリはだいぶ大きくなりましたが、種をまく時期がかなり遅れていたので、花はたくさんつくのですが、受粉が行なわれずにキュウリができません。
自然の時計の見事さには、改めて感心させられます。
野菜にはしっかりと蒔くべき時があるのです。
庭の鉢で育てているカサブランカも、わざわざ時期をずらして球根を植えたのに、同じ日に花が咲きました。
生命には、それぞれに時計が埋め込まれているのでしょう。
節子にもまた、時計があったのでしょうか。
私の時計は、どうなっていて、いま何時くらいなのでしょうか。
私は長いこと腕時計をしていません。
そのため、時々、話している相手の人に「いま何時ですか」と訊くこともあります。
慌てて話を打ち切って別れることもありますが、時計がなくて困ったことはありません。
腕時計よりも、自らの生命の時計にしたがって生きるのがいいでしょう。
それがいま、何時を指しているのか、知らないほうがいいのでしょう。
それに時計はそれぞれによって大きく違っているはずです。
時間は人によって違うのだと思うと、人との付き合い方も少し変わってきます。
畑からモロヘイヤを収穫してきました。
なにやら元気に育っていたのですが、それが何かわかりませんでした。
苗をもらった人に写真を送って訊いたら、モロヘイヤで成長させすぎだと言われました。
それで今日、上の方を切り取ってきたのです。
キュウリも1本だけお化けのように大きく成長していました。
収穫もきちんとやらないといけません。
ついでにミニトマトも少し収穫。
いま野菜が高騰していますが、来年は野菜を買わなくても済むように、いろんなものを植え付けようと思います。
生命の時計もすばらしいですが、自然が生みだす生産性もすばらしい。
現代の社会で使われている「生産性」とは全く違う概念のように思っていますが。
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