■節子への挽歌3994:サロンに支えられています
節子
今日は湯島で、憲法をテーマにしたサロンをやっていました。
暑い中を7人の人が集まったのですが、最初の人が1時間も早くやってきました。
その人は、たぶん今年になってから湯島に通うようになってきた人ですが、彼から、どうして湯島にはいろんな人が集まるのか、と質問されました。
たしかに、彼が参加したサロンでは、熱狂的な安倍首相支持者と強烈な安倍首相嫌いが参加していました。
平和主義者もいれば、核武装論者もいます。
原発支持者も反対者もいます。
政治に限りませんが、いろんな意見を持った人が、湯島には集まります。
どうしてでしょうか。
まあ私が八方美人なのも一因ですが、しかし、私の考えはサロンによく出る人はよく知っているでしょう。
今日も、原子力発電に関して、私は参加者とは真反対な意見を述べましたが、彼もそれを知りながら、私と真反対な意見をいつも話してくれます。
自分の意見にこだわることと八方美人的な付き合いをすることはたぶん両立します。
それに自分の意見がないまま人と付き合うことなどできるはずもありません。
湯島を軸にしたゆるやかなネットワークが生まれた源は、やはり30年前から継続しいていたオープンサロンです。
節子がいつも軽食や飲み物を用意してくれて私がいささか無分別な発言をすると、後で注意してくれました。
あの体験があればこそかもしれません。
もっとも当時のサロンの常連は、いまではもう10人もいないでしょう。
節子がいなくなった後、私が死なずに済んだのは、もしかしたらこのサロンのおかげかもしれません。
今日は、ふとそんなことを思ったりしていました。
サロンが一緒だった頃、サロンの常連だった人たちはどうしているでしょうか。
ちょっと声をかけてみようかと、そんなこともふと思ったりしていました。
それにしても今日も暑かったです。
| 固定リンク
「妻への挽歌18」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌4500:東尋坊からのお餅(2019.12.28)
- ■節子への挽歌4499:歯医者さんと節子(2019.12.27)
- ■節子への挽歌4498:年末のお接待(2019.12.26)
- ■節子への挽歌4496:年末の相談つづき(2019.12.24)
コメント