■節子への挽歌3988:加野さんの声は元気でした
節子
福岡大宰府の加野さんから電話がありました。
もう90歳くらいだと思いますが、お元気そうでした。
ただ、お店の方はもう他の人に任せて、安心のために今は古賀市にある弟さんのところで過ごしているようです。
加野さんには、節子が再発してから、とてもお世話になりました。
もう少し早く、加野さんに連絡していたら、もしかしたら状況は変わっていたかもしれません。
いや、たぶんそんなことはないのでしょうが、ついついそう思ったりしてしまいます。
思い出しただけで涙が出てきてしまうほどの思い出が山のようにあります。
節子が旅立ってから、加野さんのおかげで、大日寺で彼岸の節子と間接的ですが、話をしたことがあります。
大日寺への途中はひどい雨でしたが、着いた雨が上がり、帰りは晴れていました。
その時、大きなろうそくが異様に燃え上がったことが今もはっきりと思い出されます。
まあそんな不思議な体験をいくつかしています。
まあそれ以前から、加野さんとの付き合いは不思議なことがたくさんなりました。
加野さんの娘さんは節子も知っていますが、節子は加野さんには直接はお会いしていません。
でもなぜか、加野さんは私と節子の関係は知っているようです。
大宰府は不思議なところです。
加野さん母娘と会う前に、大宰府に立ち寄ったことがあります。
何で行ったのかまったく思い出せないのですが、加野さんのお店には立ち寄らなかったので、加野さんと知り合う前だったような気がします。
時間があったのでしょうか、政庁跡を歩きました。
その時に、突然、以前ここを歩いたという強い気持ちが生まれました。
いわゆる既視感(デジャヴ)体験ですが、それも平安時代に歩いたというような気が強くしたのです。
その後、観世音寺に行って国宝館に入った時の恐怖感は、いまも強く残っています。
恐ろしさに動けずに、その場にしばらくたっていたことを思い出します。
仏像の前で、恐ろしさで震えたのは、これまでに2回しかありません。
その後、観世音寺を再訪した時には、そんなことは全く感じなかったのですが。
できればもう一度大宰府に行きたいと思っていますが、最近は遠出がだんだん億劫になってきました。
こんなことでは、彼岸への旅立ちも、だいぶ先になりそうです。
加野さんは娘さんの供養のために100歳を超えるまで生きないといけないと前に話されていました。
多分それは実現するでしょう。
そう思わせる力強い元気な声でした。
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