■節子への挽歌4011:「納骨してホッとしました」
節子
昨日、偶然に会った知人から、「納骨してホッとしました」と声をかけられました。
その人は仕事をしている途中だったので、周りに人がいる状況での短い時間の立ち話だったのですが、とても安堵した表情でした。
その方と会ったのは1か月ほど前です。
まったく別の件で、30分ほどのインタビューをしました。
そこで、その方が2年ほど前に夫を亡くされたことを知りました。
私がまるでそのことをしっているかもしれないという口ぶりでした。
私はその人と会うのは初めてですから、知る由もありません。
それにたぶんその人は誰にもそういう話をするような人には見えませんでした。
もしかしたら、私が何らかのオーラを出していたのかもしれません。
その人は、夫の死を体験した後は、どんなことも気にならなくなったといいました。
あまりの大きなショックを受けると、それ以外のショックは、ショックとさえ感じなくなる。
夫との死別の不幸に比べたら、それ以外のどんなことも不幸なことは感じないというわけです。
そして、その人は「夫に近くにいてほしくて、納骨できないでいる」と話されたのです。
その気持ちは、私も体験していますので、私の体験も話しました。
私が分骨して、時に外出時には身につけていることも話しました。
そして昨日またその人の仕事場に立ち寄る機会があり、そこで話しかけられたのです。
遺骨の一部を自宅に置くことにして、3回忌に納骨したのだそうです。
お墓にも家にも夫はいる。
手元に残した遺骨で、いつも身につけていられるアクセサリーをつくることも考えているそうです。
たぶんその人は私にずっと報告したかったのでしょう。
私の姿を見て、すぐに話しかけてきてくれました。
前回と表情が全く違っていました。
重荷をおろした感じでした。
彼女はきっと伴侶を深く愛していたのでしょう。
その気持ちが伝わってきました。
お会いできてよかったです。
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