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2018/08/07

■節子への挽歌3986:自然のまま、時代のまま、そして自分のまま

節子
久し振りに肌寒ささえ感ずる夜で、熟睡してしまって、目が覚めたら7時近くでした。
雷雨も予報されていましたが、我孫子は荒れたようでもなく、恵みの雨のようです。
畑も今朝はお休みです。
今日はすごしやすそうですが、これだけ急に気温が変わると、身体がついていけないのではないかという気もします。

しかし、自然の状況によって、人がいかに大きな影響を受けるか。
いつもながらそのエネルギーには感心します。
その自然に抗って、人間中心の世界を築きあげてきた西欧近代の歴史には感心します。
日本人が、そうしたものに巻き込まれ、生き方を変えたのも仕方がないかもしれません。
自然のままに生きると自分のままに生きるとは、私には同義語です。
自然の大きさを知るにつけて、自分もまたその自然のささやかな一部であることを時間してきていますが、もしかしたらそれも含めて時代の流れもまた、同じように自分とは切り離せないかもしれません。
つまり、時代のままに生きると自分のままに生きるとも、同義語なのかもしれませんが、こうなってくると話はいささかややこしくなってきて、今の私にはまだそれらは反義語にしか思えません。

まあ涼しいせいで、朝からいささか小難しい話を書いていました。

朝、久しぶりに福岡の蔵田さんから電話がありました。
お元気そうでした。
蔵田さんのように、一点の邪気もなく、健やかに生きている方の声を聞くと元気が出ます。

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