■見えやすい巨悪に寄生する小悪にこそ目を向けたい
日本ボクシング連盟の問題がテレビをにぎわせています。
スポーツ業界は見事なほど、同質化していますね。
どこかにきっとモデルがあるのでしょう。
日本ではもう、スポーツにおけるフェアプレイ精神など残っていないのでしょうか。
スポーツの世界は人を育てる世界ではなくなったのでしょうか。
それぞれの分野ごとではなく、スポーツに関わる人たちが、種目を超えて、スポーツとは何かを改めて問いただす動きが出てくるのを期待したいです。
私は、以前も書いたように、スポーツにはあまりいいイメージを持っていなので、すべてのスポーツ協会組織は一度解散したほうがいいと思っていますが。
オリンピックなどはもう一度、原点に帰るべきでしょう。
今回の事件は山根会長が悪者になっています。
もし報道が事実だとしたら、たしかにひどい言動を重ねていると思いますが、しかしもっと悪いのは、そうした会長を生み出した「業界のリーダーたち」だろうと思います。
会長は、そう言う人たちの象徴だろうと思います。
岐阜のインターハイでの、岐阜県ボクシング連盟の四橋会長のあいさつは、部外者の私には違和感もなく共感できます。
というよりも、当然のことを言っているだけの話ですが、それがこれほど話題になることもまた、日本ボクシングの世界はもう腐っているとしか言えない気がします。
山根会長は、ただその全体の実態を可視化しているだけの、哀れな存在でしかないのでしょう。
地位や権力や見栄えにしか頼れない、いつの心の安まることのない、さびしい哀れな人なのだろうと思います。
山地会長の椅子にふんぞり返った写真がテレビでよく出てきますが、あの写真は多くのことをメッセージしてきます。
あの写真を見たら、多くの人は悪いのは山地会長と思うでしょう。
しかし、と、私は思います。
あの写真とは違う、山根さんの写真は、別のメッセージを伝えてくれるかもしれない。
大きな悪者をつくれば、そこに寄生できるたくさんの小さな悪者が見えにくくなります。
問題が起きたら、その大きな悪者を切れば、何も変えなくても世間の目はかわせるかもしれません。
これはスポーツだけではありません。
政治でも経済でも、すべてにおいてそういう傾向がある。
それにしても、あまりに同じような事件が、実にタイミングよく、顕在化されます。
それもまた、とても気になることです。
いま考えるべき、もっと大切な問題があるのではないか。
スポーツを道具にしてはいけない。
スポーツを道具にされてはいけない。
スポーツ音痴の私が思うのは、それだけです。
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