■節子への挽歌3978:夢と現実
節子
今朝、(たぶん)大学の若い先生に会いました。
彼の授業に招待されたのです。
うっかり名前を聞かなかったので、もしかしたらもう2度と会えないかもしれませんが、彼との会話は楽しいものでした。
とっても大切な視点に気づかせてもらったように思います。
こういうことが時々あります。
残念なのは、昔と違って最近は、そこで話し合ったことが、目が覚めると思い出せなくなってしまうのです。
その人に会ったのは、夢の中です。
わが家のリビングルームに似た教室でした。
以前は同じ人(もちろん現実では面識のない人)に、夢の中で会うことがよくありました。
しかし、今朝会った若い教授は初対面でした。
名前の記憶がないので、再会は無理かもしれません。
繰り返し会う人は、名前を持っています。
どういう名前かは記憶に残らなくても、夢の中では名前を知っていた印象がある。
名前はとても大切です。
朝からおかしなことを書いてしまいましたが、私はどうも、夢と現実とをつなげて考えてしまうことがあるのです。
朝、起きて、節子に夢の中の話の続きで問いかけることも、かつては時々ありました。
節子も結構慣れてしまって、適当にあしらわれていましたが、私にはそれも含めて、居心地がよかったのです。
もちろん私としても、夢と現実の違いは理解しています。
しかし、どこかでつながりを信じているのです。
時間軸を柔らかくしたら、きっとつながるのではないかとさえ思っています。
そうしたら、夢の中の人にも現実でいつかどこかで会えるでしょう。
何が「現実」かはややこしい話ですが。
こういう私の言動には、いまはユカが迷惑していますが、ユカもだいぶ慣れたのか、節子のように軽くいなすことを身につけていますので、まあ不都合は生じていません。
時々、故郷の星に帰ったらと言われますが、そこへの行き方がまだわからないので、帰るとしても、時期を待たなければいけません。
今日は生き物が元気です。
少しだけ涼しい朝に、思い切り生きているのかもしれません。
出遅れましたが、私もこれから畑です。
早朝から授業に出ていたので、ちょっと疲れていますが。
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