■節子への挽歌4002:人間の時代は終わった
節子
先週は在宅時間が長かったのですが、それで5本の古い映画をテレビで観てしまいました。
「ブレードランナー」の2作品と「プロメテウス」の2作品、それに「ソラリス」です。
「ブレードランナー2049」は今回初めて観ました。
こうした作品をまとめてみると生命の捉え方が変わってしまいます。
「ソラリス」を除いた4作品には、人造人間(レプリカントやサイボーグ)が登場しますし、ソラリス」には、人とは別個の「知性」がその人の「愛」と「記憶」を材料に物質化した人間もどきが登場します。
今回最後に観た「ブレードランナー2049」のラストシーンが衝撃的でした。
今のイメージに重なっていて、なにやら救われたような気分になったのです。。
実は最近、なぜかちょっとそんな気分になって来ていたので、この5作品をまとめてみてしまったわけですが。
「そんな気分」というのは、説明が難しいのですが、これまで時評編では何回か書いてきていますが、ホモサピエンス、つまり、今の人間の時代は終わったという気分です。
レプリカントやサイボーグが、新しい人類になっていく。
つまり今以上に「生死」を自由に扱えるようになるでしょうし、永遠の生命も蘇る生命も現実のものになるでしょう。
そうなれば、「死」さえも体験可能なものになるでしょう。
もちろん彼岸も体験可能な世界になるでしょう。
生の躍動と並んで、死の躍動が現実のものになるかもしれません。
いや、そもそも「生死」という概念がなくなるだろうと思います。
5本の映画を立て続けに観たために、ちょっと思考がおかしくなっているのかもしれませんが、死生観がちょっと変わった気がします。
節子との距離がまた少し近づいたような気もします。
もちろんそれがそのまま今の私の現実にはなりません。
今の私は、蘇ることもできず、死の体験もできません。
節子を抱きしめることもできません。
でも否持続可能ところにいるという感覚はちょっとまた強まりました。
さらに言えば、それはもしかしたら「節子」ではないのです。
もっと普遍的な存在。
「ソラリス」は他の4作品とは違いますが、旧作も含めて、また原作の小説も含めて私の好きな作品です。
ほかの4作品は、レプリカントやサイボーグが「ヒューマノイド型」であるところに違和感はありますが、むしろそのおかげでリアリティを感じます。
しかもその底流に流れているのは、人間特有の「愛」です。
目の前に、愛する人が現われたらどうするか。
いずれの作品の主人公も、「愛」よりも「人類」を優先します。
私はまだそこまで不変化できていません。
しかしちょっとだけ、普遍的な「愛」に近づいたような気もします。
今朝の空は、雲一つありません。
空の青さの奥にこそ、彼岸はある。
学生の頃はずっとそう思っていました。
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