■節子への挽歌4042:ひねくれた子供
節子
恒例の友人知人が多いからか、毎日のように入院やら訃報やら、あんまり楽しくない話が入ってきます。
他人事ではなく、私自身、いつその当事者になるかわかりません。
自分のことは、なかなかわからないものなのです。
昨日ようやく苦戦しながら読んでいた「反ヘイト・反自由主義の批評精神」を読み終えました。
しっかり消化できたとはとても思えませんが、頭が少し若返ったような気がします。
50年前の私を、少しだけ思い出したという程度の意味ですが。
著者の岡和田さんには、一度しか会っていませんし、この本に書かれているような話は一切していませんが、なにか伝わるものがあって、この本を読まなくてはならないという思いが生まれて来ていたのです。
世界がちょっとまた広がりました。
本の内容はともかく、私にも若い時代があったことを思い出したのですが、それは今はまさに若くないことの気づきでもあります。
あまりにも当然のことですが、自分の気持の成長や劣化は、なかなか気づきにくいものです。
少しは気づかなければいけません。
昨日、久しぶりに山口のKさんから電話がありました。
Kさんには節子も一度、山口で会っています。
湯島でも会っているかもしれません。
電話の後、メールが来ました。
先ほどは、突然の電話訪問、失礼しました。
いつも佐藤さんと電話でお話しさせて貰うと、大変に愉しいです。
幸いにまだ人を愉しませることもできるようです。
しかし、逆に私に電話をかけてきて、怒りだす人もいます。
Kさんのいう「愉しい」も、いろんな意味があるかもしれません。
昨日も電話で、Kさんがある意見を言ったので私は賛成できないとこれまた余計なひと言を言ってしまいました。
どうもなかなか大人になれません。
大人になれないままに、しかし、気持ちや考えが変化するというのは、あんまり良いことではないでしょう。
ひねくれた子供にならないように注意しなければいけません。
素直な子供として、死を迎えたいですから。
また台風が来るそうです。
明日のサロンはやめた方がいいかもしれません。
台風のなかを出かけるのは、本当は少し好きなのですが。
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