■節子への挽歌4032:久しぶりにSさんに会いました
節子
久し振りに、節子も知っている東レ時代の先輩Sさんに会いました。
相変わらず忙しそうにしていました。
パイプはくわえていませんでしたが、もうやめたのでしょうか。
訊くのを忘れてしまいました。
Sさんはお元気だったころは時々湯島にも来てくれました。
節子と娘が香港に旅行に行くと言ったら、香港での食事の場所などを教えてやっていたのを思い出します。
たしかメモまでつくってきてくれた気がします。
私は、その旅行には行かなかったので、横で聞いていただけなのですが。
Sさんは、会社時代の私の理解者の一人でした。
私が起こしたプロジェクトにもいろいろとアドバイスや支援をしてくれました。
退社後、あるプロジェクトのリーダーになったのですが、そのプロジェクトにも私は社外から参加させてもらいました。
Sさんとの話し合いはいつも示唆に富むものでした。
そのSさんが体調を悪くされ、しばらく会えないと連絡してきたのは、突然のことでした。
そろそろ会いたいなと思って、連絡しようとしていた矢先に、訃報が届きました。
入院しているとは思ってもいませんでした。
それからもうどのくらいたつでしょうか。
そして昨日、久しぶりにSさんに会ったのです。
あいかわらず少しみんなとは距離をとって、ダンディな雰囲気を保っていました。
若者たちに囲まれていたのは、意外でしたが。
もちろんSさんと会ったのは、夢のなかです。
夢に時々出てくる死者がいます。
夢のなかでは、生者も死者も全く同じです。
いや、現世ではあったこともない見覚えのない人と現世で親しくしてもらっている人も、同じように出てきます。
夢が現世を超えているのは間違いありません。
もしSさんがいまも現世にいたとしても、そう頻繁に会っていたかどうかはわかりません。
現に、いまも現世で活躍している人とも時に夢で会います。
そう考えれば、現世での生死よりも、私の心身のなかでの生死のほうが意味を持っているのかもしれません。
そして、節子は間違いなく私のなかでは生きています。
Sさんもそうです。
不思議なことに、起きている時に思い出す人が何人かいますが、そう言う人はなぜか夢に出てこない。
その人は、ある時から突然湯島にも来なくなり、連絡が途絶えた人です。
いまも現世にいるのかどうかさえ分からない。
今朝も訃報が届いていました。
この歳になると、彼岸もとても近い存在に感じて、訃報も転居案内のように感じます。
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