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2018/09/08

■節子への挽歌4021:所有から解放されるということ

節子
最近、読書時間が増えています。
それもノートを取りながらの読書が増えています。
しかも最近は、図書館から借りた本を読むことが多いので、そこで書かれていることをメモしておきたいという思いが強まっているのです。
ですから、いつもは1~2日で読み終える本を、4~5日かかってしまうことさえ起きています。
あるいは、メモが目的になってしまっていることさえある。

先日、あることで法頂禅師の「無所有」を思い出しました。
それで昨夜、書庫から探し出して読み直しました。
前に読んだ時に蛍光ペンでマークされた文章がありました。

たくさん捨てる人だけがたくさん得ることができるという言葉がある。
物によって心を煩わして人たちには、一度は考えてみるべき言葉である。
何も持たない時、初めてこの世のすべてを持つようになるというのは、無所有のもう一つの意味である。

実は、この最後の文章を思い出して、この本を読み直そうと思ったのですが、読んでいてハッと気づいたことがあります。
自分自身の「所有への執着」に気づいたのです。
確かに最近は、「物」への執着はかなりなくなってきました。
そもそもほとんど「物」を買わなくなりました。
書籍さえほとんど買いません。
しかし、相変わらず書籍などからの知識への所有への執着が強いことに気づいたのです。
法頂さんの言葉は、「物」に関することだとずっと考えていました。
しかし、それは「物」だけではなく「知識」や「情報」も同じなのではないかという気がしてきたのです。
同時に、最近の私の読書に「所有欲」、つまり「知識を所有しよう」という姿勢が強すぎるのではないかということに気づいたのです。

「たくさん捨てる人だけがたくさん得ることができる」というのは、むしろ「知識」や「情報」についてこそ言えることなのではないか。
このことは、経験的にかなり認識しているはずなのに(知識を語る人の、なんと知識の薄いことか!)、まさに自らもその落とし穴に落ち込んでいるのではないか。
知識が生き方を呪縛するようなら、そんな知識はいらないのではないか。
そう気づかされたのです。

これはかなり悩ましい問題でもあります。
しっかりと考えてみようと思いますが、まずは読書姿勢を改めようと思います。
しかし、さてどうすればいいか。
今日は読書を全くせずに、考えてみようと思います。

所有から解放された生き方は、簡単ではありません。

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