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2018/10/31

■節子への挽歌4057:セカンドオピニオン

節子
昨日は築地の国立がんセンターの中央病院に行ってきました。
昨年、胃がん手術をした友人がセカンドオピニオンを聞きに行くというので、役には立たないのですが、同行しました。
節子がいなくなってから、「がんセンター」という名前を聞いただけで、気が萎えてしまい、とても病院には行けなくなっていたのですが、今回は東病院ではなく中央病院なのでがんばってみました。
自分でも驚くほどに抵抗がありませんでした。

それになんとなく、予想以上に乾いた感じで、節子と一緒に通っていた頃の雰囲気は感じませんでした。
私の気持のためか、それとも病院という空間の意味合いが変わってきたためか、そのいずれもが関係しているような気がしました。
後者は、病院が無機的な機械的空間になってきていると言いう意味です。

それにしても、セカンドオピニオンを聞きに来ている人がこんなにいるのかと驚きましたが、診察室が10室並んでいて、そこで一人1時間ほど医師と面談するのです。
待合室は満席でした。
考えてみれば全国から来ているのでしょうから、混むのは当然でしょう。

1時間、じっくりと話を聞きました。
もちろん主に話を聞いたのは、友人ですが、隣にいて、いろいろと感ずることがありました。
どんなに親身になって考えようとも、当事者にはなれないと改めて思いました。
節子の時、はたして私は節子と同じ当事者になれていたのだろうか、とふと思いました。

担当した医師は若い医師でしたが、実に誠実で、しかも明快で、CTの写真を見せてくれながら、質問に答え、アドバイスをしてくれました。
セカンドオピニオン制度の意義がよくわかりました。
結果がどうであれ、モヤモヤが消えます。

友人も来てよかったと言っていました。
しかし遠方からの人は大変でしょう。
それに1人では来られない人もいるでしょう。
スカイプなどを活用して、もっと容易にできるような仕組みがあればいいなと思いました。
もちろん直接会うことによって、納得度が高まる効果は大きいですが、広い情報を聞くだけで自分の症状の受け止め方はかなり違ってくる気がします。

終わった後、喫茶店で話しましたが、彼は「がんと付き合うしか仕方がないのだ」と何回も声に出していました。
自分に言い聞かせているその言葉に、私は無力感を強く感じました。
そして節子のことを思い出しました。
あの頃、私は無力感さえ持てずにいました。
いろいろと思い出せられる1日になりました。

それにしても、病院はなぜか疲れる空間です。
友人はかなり疲れたでしょう。
同行しただけの私も、なぜか疲れました。
彼には、私の葬儀に出てもらわなければいけないので、私より長生きしてほしいのです。
私の友人たちには、私よりも早く逝ってほしくはありません。
自分より先に逝きそうなので、お前とは付き合いたくないと、ある友人から言われたことがありますが、その気持ちはよくわかります。

昨夜はまた眠れませんでした。

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