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2018/10/08

■節子への挽歌4048:神の助力は必要か

節子
4世紀のローマの異端のキリスト教徒ペラギウスは、人間が神の助力を受けることなしに善を行い完全な存在になることができる、と主張したそうです。
正確に言えば、そう言う考えだったから、「異端」とされているわけですが、彼が人は神によって完全に創られたと考えたのは、神への信仰が強かったからにほかなりません。
神が不完全な者を創りだすと考えるのは、神を信じていないことにつながるはずです。
私もどちらかといえば、そうですが、そこに悩ましい問題がある。

しかし、問題は「完全」とは何かということなのかもしれません。
言語矛盾ですが、欠陥もまた「完全」の要素の一つかもしれない。
そんな気がしてきています。
人生もまた、完全な人生などあるはずもない。
でも「お天道様の世界」は、きっと完全でしょう。
そして私は、その世界の一部ですから、完全の一部として、完全な存在なのです。
ややこしい話ですみません。

この2日間、ちょっとまたサロンに深入りしすぎて、思考力が枯れてしまい、挽歌を書く気力まで失っていました。
同じような繰り返しをどうしてもしてしまう。
適度ということがなかなかできないのです。
困ったものです。

私は、ペラギウスのように考え抜いた結果ではありませんが、「人間が神の助力を受けることなしに善を行い完全な存在になることができる」ということは、共感できます。
昨日、サロンの合間に4人で食事をしながら、性善か性悪かの話になりました。
この世に、性悪のものなどあるはずがない。
しかし残念ながら誰にも賛成してもらえませんでした。
善か悪か。
そもそもこの問い自体が、間違っているのでしょう。
悪もまた、大きな世界にとっては善なのだろうと思います。
存在するものには、すべて意味がある。

それにしても、人の心は弱い者です。
まあ私の場合は、どうも意志も弱いのですが。
「やれない」のには、意味がある、とすぐに言い訳を見つけてしまう。
しかし、その1日が終わりそうになると、やらなかったことで、罪悪感におそわれてしまう。
最近、やるべきことがどうもできないのです。
やはり「神の助け」は必要なのでしょうか。
そんなはずはないはずなのですが。

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