■ハロウィンよりもお盆でしょう
ハロウィンで世間はにぎわっているようです。
私の地元でも、友人が長年近隣の家庭で楽しむハロウィンのイベントをやっています。
私が住んでいるところからはちょっとだけ離れているので、それを知ったのは今年のはじめでした。
商業主義ではない、そういう活動が広がってきていることには異論はありません。
私の孫も、何やら魔女の服装をして喜んでいましたし。
しかしながらやはり違和感があります。
ハロウィンの起源であるケルトと日本文化のつながりの話もとても興味深くあるのですが、渋谷の仮装イベントにはいささかの嫌悪感さえあります。
死者との交流ということで言えば、日本にも「お盆」や「お彼岸」があります。
日本の伝統行事も、最近いささか商業化しつつあるのを感じますが、それはともかく、大事にしたいと思っています。
そこに、私の生き方の根っこを感ずるからです。
ハロウィンを批判するつもりは全くありませんが(バレンタインには極めて拒否的ですが)、日本の仏教を生きる拠り所としている私としては、お盆をもっと楽しいものにしたいです。
昨今の日本人の生き方がちょっと乱れてきていて、社会におかしな風潮が広がりだしているのは、やはり「宗教」や「信仰」がないがしろにされてきているためではないかと思っています。
日本には、たくさんのお寺や神社があります。
そうしたところがその気になれば、社会のあり方や人々の生き方を変えていけるはずです。
寺社による祭事は、人々の生き方に大きな影響を与えます。
祭事を、ショービジネスやイベントビジネスと勘違いしてはいけません。
祭事は、あくまでも祭事なのです。
そうした取り組みがあまり感じられないのですが、寺社の人たちは何を考えているのでしょうか。
もっとも、いまのような人の生き方や社会のあり方がいいという人もいるのでしょう。
しかし、私には、いまの社会はどうも自分が生きる社会から遠のいているような気がしてなりません。
私は祭事は「子育て」「人育て」という教育の仕組みでもあると考えています。
子どもを育てるのは、学校だけではありません。
そして、社会には子ども育て人を育てる仕組みが内在されていたように思います。
文化人類学に取り組む人たちの本を時々読みますが、そうした本を読むたびに、そう言うことを感じます。
同時に、人類は滅びに向かって進んでいるような気がします。
半年ほど前に読んだ奥野克巳さんの「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民」(亜紀書房)で紹介されているボルネオのプナンの人たちの話はとても感動的でした。
この週末は湯島のサロンがないので、ちょっと古いですが、アマゾンの奥地で暮らしているピダハンを紹介した「ピダハン」(D・L・エヴェレット著)を読もうと思います。
本の紹介文には、ピダハンの人たちは無神論と書かれていますが、そんなはずはないでしょう。
たぶんキリスト教徒の基準で神を論じているために、無神論に見えるのではないかと思います。
まあそれを確かめたくて読むのですが。
ちなみに著者はキリスト教の布教活動のためにピダハンと共に暮らし始めて、結局、自らが棄教したと、これも本の紹介に書かれていました。
余計なことまで書いてしまいました。
11月22日に、ちょっと遅れていた「宗教」シリーズのサロンを企画しています。
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