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2018/10/07

■カフェサロン「自閉症児を受容し親になる」報告

松永さんのサロンも、今回で3回目です。
今回のテーマは、これまでの難病の子どもと違って「自閉症児」。
松永さんの世界は、どんどん広くなり深くなり、メッセージの普遍性が強まってきています。
今回は、最近出版した「発達障害に生まれて - 自閉症児と母の17年」の勇太君母子のことを中心に、これまでの2作品にも言及されながら、そしてご自身の思いも込められながら、お話をしてくださいました。
キーワードは「受容」と「普通」。
松永さんのお話は映像記録していますので、関心のある人はご連絡ください。

「受容」に関しては、キューブラー・ロスの「死の受容の5段階」に即しながら、「受容」のプロセスとその過程でどういうことが創発されるのかを話してくれました。
そして、「死」ではなく「生」の場合は、最後の段階の「受容」こそが、始まりなのだとして、「生の受容の5段階」(私の勝手な命名です)松永モデルを紹介してくれました。
このモデルは、これからきっと松永さんによって深化していくでしょうが、とても示唆に富んでいます。

「普通」に関しては、具体的なエピソードによって「普通という呪縛」を気づかせてくれました。
もしかしたら、「普通呪縛」によって、私たちは「発達障害」などの「異常化」を進めているのかもしれません。
今の時代は、「ちょっと変わった子ども」はいなくなってしまっているのかもしれません。
実は昨日、別のサロンで、引きこもり問題に関わっている人から、最近は不登校の子供が薬を飲まされて薬害が問題になっているという恐ろしい話も聞きました。
「普通呪縛」からどうしたら自由になれるのか。
松永さんのお話には、健常者の脳を捨てることが大切という指摘もありましたが、健常であることと普通であることとは同じなのか、そしてそういう言葉に果たして実体はあるのだろうかというようなことを思いました。

松永さんは、障害者が幸福に生きる条件を2つあげました。
「居場所をつくること」と「自立と共生」です。
居場所は物理的な場所というよりも、人との出会い、社会に関わっていくこと。
自立と共生とは、お互いに支え合っている言葉であることを理解すること。
とても示唆に富んでいる指摘だと思います。
ちなみに、イヴァン・イリイチという人は「コンヴィヴィアリティ」という言葉で、以前から「自立共生」をワンセットで捉えています。

ほかにも、心に残った言葉はたくさんあります。
いくつかを羅列します。
子どもにとって親の存在が安全基地になる。
人に助けを求めることが社会とのつながりを育ていく。
会話が成り立たなくとも信頼関係や愛は育てられる。
条件なしの愛と条件付きの愛の話も紹介したいですが、書きだしたらこれまたきりがなさそうです。

最後に、これは松永さんが以前から話されていることですが、「不幸を最小化する」社会にも言及されました。
「不幸を最小化する」社会を実現するためには、「最も弱い者(高齢者、新生児、障害者など)を守り、多様性を認め、共生することが大切だが、しかし現実は…」といって、勇太君の母親のブログに書きこまれたあるコメントを紹介してくれました。
それはこんなコメントです。
「やはり知的障害者の教育に我々の血税を費やすよりも本当に勉強したくても経済的事由で学校に行けない健常者にその税金を回すべきです」
とても哀しいコメントです。
このコメントを紹介した後、松永さんは、オスプレイの写真を見せながら、「血税」ってなんだと強い口調(激しい怒りの気持ちを感じました)で問いかけました。
1機100億円のオスプレイで、どれだけの人の生が支えられるのか。
その事実を、私たちはもっと知る必要があります。

参加者は14人でしたが、いろんな話が出ました。
発達障害のある家族がいる人や自分にも思い当たる人などもいて、話し合いはとても心に響くものが多かったです。

最初に出たのは「障害者」と「健常者」という言葉(概念)への違和感でした。
しかし、「障害者」という概念によって、そう言う人たちへの支援制度や社会の理解も進むという指摘もありました。

「仕事」とは何かというような話も出ました。
お金をもらう(あるいは「稼ぐ」)ことだけが仕事ではないのではないか。
仕事にはもっと大きな意味があるのではないかという話です。
自立とか就労支援ということの捉え方を、そろそろ変えないといけないのではないかと私は思っていますが、そのヒントもたくさんあったように思います。

書きだしたらきりがないので、これももしかしたらユーチューブで公開しますので、それを見てください。

最後に私の感想を話させてもらいました。
一つは「二次障害」の問題。
もしかしたら私自身が「普通呪縛」によって、子どもたち(あるいは周囲の人たちに)に二次障害を引き起こしてきたのではないかということに気づかせてもらったこと。
もうひとつは、勇太君の母親がいまとても幸せであるように、「自分にとっての勇太」を見つけることが、誰にでもできる、そして誰にとっても必要な、幸せになる条件だということに気づかせてもらったこと。
おかげで、私もちょっと生き方を正せるような気がします。

長い報告になってしまいましたが、まだ「発達障害に生まれて - 自閉症児と母の17年」(中央公論新社)をお読みでない方は、ぜひお読みください。
いろんな意味で、心が洗われ、世界が広くなると思います。

松永さんと参加者にとても感謝していました。
報告が遅れてすみませんでした。
Matsunaga181006


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