« ■節子への挽歌4051:人生の向う方向 | トップページ | ■節子への挽歌4052:またパピルスが来ました »

2018/10/18

■国家の本質

サウジアラビアのジャーナリスト、ジャマル・カショギさんがトルコ・イスタンブールのサウジ総領事館を訪問後に失踪した事件で、サウジアラビア国家政府による殺害の可能性が報道されています。
この事件を、とんでもない事件と思うか、常識的な事件と思うかは、国家をどう捉えるかで別れるでしょう。
私は、ある意味で、国家による「コラテラル・ダメッジ」として、驚くほどのことのない事件だと思っています。
http://cws.c.ooco.jp/katudoubannku2.htm#1013
ただこうしてそれが、あまりにもはっきりと報道されると恐ろしくもなりますが、そもそも国家とはそういう存在なのではないかと思います。それを改めて思い知らされる事件だろうと思います。
ただやり方がお粗末で、殺害の仕方が異常だったとはいえますが、もしかしたら、むしろこういうやり方こそが、巧妙なやり方なのかもしれません。
いずれにしろ、そこからのメッセージは大きいです。
国家というものを考え直す、いい材料かもしれません。
しかし、この事件を、イスラムと結びつけることだけは避けなければいけません。
ひとりの生命が失われたという意味では、最近日本でも起こった官僚の自殺と同じです。

国家による「犯罪」は、犯罪とはされません。
国家防衛のための正当化が与えられるのです。
その最たるものが「戦争」です。
そして、そのために暴力装置としての軍隊を持つことの危険性を認識しなければいけません。
国家の軍隊の戦力が主にどこに向けられていたかは、歴史が示唆しています。

国家は、国民を守るための仕組みと言われますが、国民を守るためには、多少の犠牲は認めらます。
それがコラテラル・ダメッジの論理ですが、国民は守られても個人は守られないという、おかしな話がそこにあります。
「守る対象」があいまいですから、いかようにも論理は組み立てられるでしょう。
軍隊は、一体「何」を守るのか。
私が守られている時にはいいですが、いつ、守るために排除される立場になるかに関しては、私は関与できません。
サウジの国家と国民を守るために活動してきたカショギさんは、排除される立場になってしまったわけです。

ここで国家政府の意思決定の透明性や国民の参画が大きなテーマになります。
しかし、それもまた問題がないわけではありません。
そこで出てくるのが、人間を単一のデータ処理システムとして捉えてAIに意思決定させるというアイデアです。
今朝のNHKテレビに、最近話題の「ホモ・デウス」の著者、ユヴァル・ノア・ハリスさんが出ていました。
彼の問題提起はとてもわかりやすく、システムと人間との闘争においては、人間には勝ち目がないという指摘もとても説得力があります。
しかし、私はやはり、20世紀人として、システムも国家も、個人を支えるものであってほしいと思っています。
もし、「ホモ・デウス」になるのであれば、私は取り残される立場になりたいと思っています。

「ホモ・デウス」のサロンも企画したいと思っています。
一応、読了した人(できれば前作の「サピエンス全史」も)を対象にしたいと思っていますが、5人以上、参加者がいたら開催したいです。
ご関心のある方はご連絡ください。

|

« ■節子への挽歌4051:人生の向う方向 | トップページ | ■節子への挽歌4052:またパピルスが来ました »

政治時評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30899/67286208

この記事へのトラックバック一覧です: ■国家の本質:

« ■節子への挽歌4051:人生の向う方向 | トップページ | ■節子への挽歌4052:またパピルスが来ました »