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2018/10/03

■節子への挽歌4045:人はみなそれぞれに違った「病」をもっている

節子
抗がん剤治療をしている友人が、副作用もあって、どうしようか迷っています。
昨日も電話でいろいろと話しました。
私自身は、節子との体験から、抗がん剤治療には疑問を持っています。
だからといって否定することはできません。
自分の場合はたぶん抗がん剤治療は受けないでしょうが。

がんの免疫治療のオプジーボを開発した本庶佑さんが今年のノーベル賞の受賞者に決まりました。
そのニュースがマスコミをにぎわしているので、彼も免疫療法に大きな期待を持っているようです。
これもまたいろいろと思うことがあります。
しかし、当の患者としては、大きな期待を持つことは間違いありません。
これも心当たりがあります。
がんは、実に悩ましいものです。

病気は言うまでもなく「生命現象」です。
ですから、その人の心の持ちようや考え方によって、大きく影響されます。
ある意味では、病気とは心の持ちようで変化させられるはずです。
心が病んで身体が病むということもあるでしょう。
その逆ももちろんあります。
そもそも「病気」という表現に「気」という文字が入っていますから、基本は「気」なのだろうと思います。
身体的な傷みに心が折れることは、私もないわけではありません。
しかし、私は大切なのは「気」だと思っています。
高血圧も風邪も、ですから私は心で治そうと、それなりに心がけています。

節子の時もそうでした。
ですから最後の最後まで、治ると確信していました。
今となってはそれが少し悔いになっていますが、その反面、よかったとも思っています。
最後まで、節子とは「病気の節子」としてではなく「健全な節子」として付き合えたからです。
人は誰もが歳をとると老化します。
それを病気として捉えるのは、私には残念な気がします。
私は「老人」という言葉も嫌いではありません。
人が老化するのは、健全なことです。
病気になるのも、ある意味では健全なのかもしれません。
そんな気が、最近してきています。

言い方を変えるとこうなります。
人はみなそれぞれに違った「障害」をもっているように、それぞれに違った「病」を持っているが、それこそが「健全な人間」なのだ。

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