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2018/10/25

■節子への挽歌4054:会わなくても一緒に生きている人はいる

節子
昨日はたくさんの人に会いました。

昼間はお名前だけは何回も聞いていた人に2人会いました。
ある企業の顧問をされている方たちです。
先方も私のことを知っていて、そのおかげで初対面の気がしませんでした。
不思議なもので、会う前からお互いに相手のことをなんとなく知っている気分があったのでしょう。

夜は、湯島でサロンでしたが、今度は久しぶりの人が2人、やってきました。
いずれも20年以上の久しぶりです。
ひとりは山口の河野さん。
節子と一緒に山口に行った時に、河野さんにはとてもお世話になりました。
なぜ山口に行ったのか思い出せないのですが、河野さんにご馳走になったことだけは覚えています。
私は記憶力が悪く、あるシーンを断片的にしか思い出せないのですが、夫婦ペアの萩焼をもらった記憶もあります。
もうひとりは松戸の中田さんです。
彼女が湯島に来たのは、25年ぶりだそうです。
彼女の伴侶は有名な政治学者ですが、その著書は私が民主主義のことを最初に考えるようになった本でした。
リンカーンクラブという活動の中でお会いし、その流れで、彼女が湯島に来てくれたのです。
以来、緩やかな交流がつづいていました。

河野さんと中田さんとは、ほとんどこの間、会うこともなかったのですが、会ったとたんに最後に会った時に戻って、その間の長い時間は、まるでなかったような気がします。

最初のおふたりは、会ったこともないのに、私の中には存在していましたし、後の2人は特に交流がないにもかかわらず、私の中では生き生きと生きています。
人のつながりは、とても不思議なもので、会うとか会わないとかはあまり関係ないのかもしれないという気さえします。

節子とはもう11年会っていませんが、こう考えると、それがどうしたという気にもなります。
今日は久しぶりの秋晴れのようです。
今日もまた、湯島に、名前さえ知らずはじめて会う人、最近知り合った人、30年以上前からずっとお付き合いのある人という3組の人がやってきます。
どんな一日になるのでしょうか。

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