■安田純平さんに心から感謝します
シリアで消息を絶っていたジャーナリストの安田純平さんが、2018年10月に無事帰国しました。
久し振りの、とてもうれしいニュースです。
しかし、さまざまなバッシングが行なわれていて、テレビの報道を見ていて、哀しくなるというよりも、実にいやな気分になります。
昨日も多くのテレビで、コメンテーターやキャスターのほとんどが、私には極めて不快な発言をしていました。
そういう人たち(たとえば北野たけしさんですが)の名前も出したいほどですが、きりがないのでやめることにします。
しかし、この人がと思うような人が、私には聞くに堪えない発言をしていて、驚きます。
その根底に感ずるのは、弱い者いじめと国や政府の視座です。
つまり、全体の方針に従わない者は、いじめられ、保護されないということです。
学校でも会社でも、地域でも、そして家庭でさえ、そういう風潮は広がってきているような気がします。
それは私の生活にも無縁ではありません。
国の方針に逆らう人は殺されてもいいというところにつながっているように思います。
そもそも国境を越えて移動することにおかしさを感じない近代人は、私には理解できません。
昨日のテレビでは、安田さんは目的に失敗したという人もいました。
しかし、安田さんが明らかにしてくれたことは、私にはたくさんあります。
ジャーナリストは、記事だけで情報を発信しているわけではありません。
安田さんが書いたであろう記事や動画よりも、私には大きなものが伝わってきています。
書かれたり撮られたりしたものだけで、ジャーナリストは情報発信しているわけではありません。
もちろん受け身でしか物事を考えていない人には伝わらないでしょうが、そうしたものの背景にこそ、私は価値を感じます。
安田さんの今回の不幸な事件は、決して無駄ではありませんし、無駄にしてはいけないと思います。
身代金も話題にされています。
もし身代金に私の税金の一部が使われたとしても異論は全くありませんし、むしろうれしいです。
オリンピックに使われるよりも、私には価値のあることですから。
それに、人の生命をお金とつなげて語る人たちは、私には唾棄すべき存在です。
念のために言えば、身代金が使われたかどうか、またそれをだれが負担したかどうかなど、私は知りませんし、身代金支払いを肯定しているわけでもありません。
そうではなく、こんな時でさえ、お金の話ばかりする人たちの気が知れないのです。
こう書くとまた反論が来ると思いますが、せっかくのうれしいニュースが、なぜか後味の悪いニュースになってしまっているのが、ともかく残念です。
私は、安田さんの勇気と志と実践に感謝しています。
そして、安田さんが無事帰国されたことに、無条件に喜びを表明したい。
安田さんを非難する人も、安田さんほどの「自己責任」意識を持ってもらえるといいのですが。
他者に自己責任を求める前に、まずは自らの自己責任を考えてほしいものです。
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