■節子への挽歌4062:死後をどう生きるか
節子
中田さんの訃報はちょっと衝撃的でした。
そのせいか、今日はどうも精神的に安定感がないうえに、身体的な不調和音も感じます。
人間は実にもろいものだと改めて感じます。
まあ今日は寒いこともありますが。
昨日も新潟の金田さんからお手紙をもらい電話ももらいました。
電話で話していて、金田さんの今の状況がよく伝わってきました。
金田さんは元気がなくなると私に電話をかけてきます。
電話がある時は、実はSOSなのです。
私の声を聞くと元気になれると言っていたことがあるので、私も金田さんへの電話は元気に対応しなければいけません。
目いっぱい元気な声で対応していますが、正直、私自身もそう元気ではなく、金田さんの話を聞いていると私もそう違わないのにと思ったりしてしまいます。
人はそれぞれ問題を抱えておいて、それほど違わないというのが私の体験知なのですが、私がかつてそうだったように、自分の問題が膨らんでくると、他者のことは見えなくなるものです。
それにしても、中田さんの急逝は衝撃的です。
いつ私も同じようなことになるかもしれません。
死後をどう生きるか、それを真剣に考えなければいけません。
人は自分一人で生きているわけではなく、たくさんの人や物との関係の中で生を営んでいます。
ですから、死で、人生が終わるわけではありません。
それにしても、気のせいか、今日は頭が痛いです。
何ごとも起きなければいいのですが。
めずらしく今日は夜、ホテルでのパーティに参加しますが、今の私にはまったくの場違いなので、いささか憂鬱なのですが、これもまた生きる営みの一つなので、がんばっていこうと思います。
きちんと靴をスーツを身に着けて。
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