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2018/11/29

■カフェサロン「日本列島「法」改造論」報告

神戸大学名誉教授の行政法学者・弁護士の阿部泰隆さんをお迎えしての「日本列島「法」改造論」は13人が参加し、3時間を超える長いサロンになりました。
阿部さんの話は、なぜ自分が大学に残って教授になったのかという話から始まりました。
大きな志や日本を変えたいと思ったのか、と一瞬、期待した人もいたでしょう。
しかし、阿部さんは、子どもの頃からぜんそくがひどかったので、働きやすそうな大学に残ったのだというのです。
こんな感じで、聞く人の期待に肩すかしを食わせながら、聴く人を飽きさせない、そのくせ、メッセージしたいことはきちんとメッセージするというスタイルで、前半は笑いにあふれた阿部さんの独演会でした。

もちろん漫談だけやっていたわけではありません。
最初に挙げたのが、来年の「10連休」への疑問。
阿部さんは、一体だれが喜ぶのかと言います。
そしてそれによる弊害を、死者が増えるかもということも含めて、具体的に話されました。
つづいてさまざまな「おかしなこと」が縦横無尽になぎ倒されていきました。

しかしただ、個別問題を批判しただけではなく、その根底には現在の行政のおかしさへの本質的な問題提起がこめられていました。
まず阿部さんが指摘したのは、行政の法的安定性についてです。
日本は法治国家ですので、法律の安定性が保証されていなければいけません。
そのためには、法そのものが安定しているとともに、法の運用者である行政の恣意的な解釈や適用があってはなりません。
もちろん形の上ではそうなっていますが、阿部さんは、それは「神話」だというのです。

法は国民のためにあると言われますが、果たしてそうなのか。
法の安定性に関しては、官民不平等になっていると阿部さんは言います。
たとえば税金納入の過不足の是正に関しては、国民と行政では平等ではないし、さらに行政の都合で法は変えられる。それに行政を正す立場にある司法の独立性は、日本では制度的にも保証されていないことを説明してくれました。日本の法は誰のために運用されているのか。
法が整備されれば法治国家になるわけではありません。
そこをしっかりと考えていかなくてはいけない。

問題は行政だけにあるわけではありません。
私たち一人ひとりにもある。
阿部さんは、自分で考えることが少なくなっているのではないかと問いかけます。
偉そうな人(たとえば自分を含めた大学教授や官僚など)が言ったからと言ってそのまま信じてはいけない。
通説と言われるものも疑わなければいけないと阿部さんは言います。
疑うことから考えることがはじまり、自分の判断力が生まれていく。
与えられたことを、考えもせずに受け入れてしまう国民性。
行政が勝手なことをやってしまう一因は、国民である私たち一人ひとりがちゃんと考えないからかもしれません。

ちなみに、阿部さんは、法学者としての自分の使命を次のように考えています。
日本の社会はいま何が問題なのか、その問題解決のためにどういう法制度を整えたらいいのか、法制をどう動かしていったらいいのかを考え、それを提案し実現していくこと。
そのためには、まずは通説や常識を「疑うこと」です。
何事にも、「なぜか」という問いを忘れない。
阿部さんは、疑問に思うことを大切にしています。

そうしたことを根底に置きながら、阿部さんはさまざまな問題を語ってくれました。
国の戦争責任から「女子トイレを増設せよ」「相撲の土俵の下にマットレスを」などといった話まででました。
阿部節を体験されたい方は、阿部さんの著書「日本列島「法」改造論」をぜひお読みください。
「逆転の発想による法改革」によって、日本を変える提案が満載です。

話し合いでもさまざまな話題が出されました。
最初の質問は、住民訴訟に関する質問でした。
ほかにもいろんな質問が出ましたが、阿部さんは、法治国家の本質のような内容まで含めて、専門的にとてもわかりやすく解説してくれました。
学校教育の話も盛り上がりましたし、日本人の国民性の話もでました。
あまりにいろんな話題が出たので私の記憶容量の限界を超えて思い出せませんが、帝国を過ぎてもなかなか終わらないほど、にぎやかな話し合いでした。

誰がこんなおかしい社会にしてしまっているのか、という話もあり、それへの回答も、阿部さんからも含めて出されました。
しかし、最後に阿部さんは、もっとみんなが行政の実態を知り、自分で考えていかなければいけないと話しました。
今回のサロンに参加した人の多くは、それぞれにそうした活動に取り組んでいる人ですが、もっと横につながっていくことが大事だなと改めて思いました。
そこにこそ、湯島のサロンの意味はあるのですが。

阿部さんの体制批判は、実に具体的で何よりも明るいのです。
そこに阿部さんの人柄が出ています。
後で感想を送ってきた人は、「文楽や志ん生の落語を聴いた後のような、すっきりとしたにごりない喜びを感じました」と言ってきました。
面白い中にも、いろいろと考えさせられるサロンでした。
こうした、明るく楽しい雰囲気で政治や行政や法の問題を話し合う場がもっと増えていくといいなといつもながら思います。

ところで、参加したほとんどの人が、阿部さんの話にほぼ同感ですと感想を言っていました。
しかし、そこにこそ、大きな問題があるのではないかと、いささか天邪鬼の私は思います。
いろいろと主張の多いはずの参加者が、一様に「ほぼ同感」だといい「すっきりした」といい、阿部さんの話に共感してしまう。
自分ではまだあんまり考えていない大学生たちなら、もっと納得してしまうのではないか。
阿部さんの話を聞く私たちも、阿部さんと同じく、もっと「疑う」こと(阿部さんの意見への疑いを含めて)を大事にしなければいけません。
ちなみに阿部さんは、あることを批判する時にも、絶対的な口調ではなく、自分はそう思うがというような謙虚な話しぶりでしたし、話の最初に自分の権威(高名な大学教授)を意図的に壊すような話を語ってくれていました。
それにもかかわらず阿部さんの話にあまり異論が出なかったのが、ちょっと心残りでした。
阿部さんの考えとあまりにも参加者の波長が合ってしまったのかもしれません。
それはまたそれで、問題かもしれません。

阿部さんが東京にいたら、連続サロンを企画したのですが、残念です。


Abe1811262


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